人生を変えたきっかけは、家庭菜園で初めて育てた小松菜だった。そのおいしさに驚き、ついには、夫婦で野菜を育てる農家になった。就農から約3年。大阪の畑で、農薬や化学肥料を使わずに年間約200種類の野菜を栽培し、自分たちで販売。「味が濃い」と人気だ。 2月9日、堺市の公園であったマルシェ。一角で農園「笑ノ百姓(えみのひゃくしょう)」の中塚菜津美さん(38)が、ニンジン、ダイコン、ネギやキャベツなどを並べた。朝とったばかりで、泥がついたままの野菜も。お客さんたちは「ここのネギとダイコンは絶対買い」「ニンジンは味が濃い」などと情報交換しながら、次々に野菜を買っていった。調理方法を聞かれ、「サラダや漬物でもおいしいですよ」と菜津美さん。いまは週に1回、この公園で販売している。 笑ノ百姓は、2019年5月に大阪府南東部の富田林市で就農した中塚和典さん(40)と菜津美さん夫婦が営む農園だ。屋号は、「自分たちの野菜を食べてほほえんでほしい」との思いから。現在の農地は計約2ヘクタール。農薬、化学肥料を使わず、ネットや地面を覆うシートを使って虫や雑草を防ぐ。大阪府の「大阪エコ農産物」の認証を受けている。 ナスやトマトなど特定の野菜を大量に作るのではなく、多品目を栽培するのが特徴だ。一年を通すと約200種類ほどで、ダイコンだけでも10種類ほどになるという。栽培した野菜を自ら販売する。 主力は、野菜セット。10種類で2千円、6~8種類で1500円。和典さんが火曜と金曜、午前中に収穫した後、車に積んで、富田林市、河内長野市、大阪狭山市などエリアを限定して配達している。 配達は、週1回か隔週かを選ぶ方式。中身はお任せだが、ダイコンやニンジン、タマネギなど日常的によく使う野菜が8割、黄色いカブなど珍しい野菜が2割をイメージしている。「旬の移ろいを感じられるのが醍醐(だいご)味」と和典さん。配達に行くと、「今日は何?」と楽しみにしている人が多いという。 いま、月に二百数十個ほどのセットを販売。一度に車に積める量が限界になったため、新規の配達の受け入れを中断。直接畑に取りに来てもらう形で受け付けている。 ◇ ◇ きっかけは家庭菜園だった。 富田林市の隣の大阪狭山市に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「奇跡的に生き残った児童」注目に疲れ避けた取材…訪れた転機と願い
児童や教職員計84人が犠牲・行方不明となった宮城県石巻市の旧大川小学校では11日夜、遺族や卒業生らが、初めて鎮魂のためのイベントを開いた。 普段は日暮れとともに暗闇に包まれる校舎西側の広場だが、この日は手作りの「竹あかり」から漏れ出るほのかな明かりに包まれた。 企画の中心になったのは、6年生だった三男の雄樹(ゆうき)さんを失い、旧大川小で語り部活動を続けている佐藤和隆さん(55)。旧大川小は昨年7月に震災遺構として公開されたが、周辺は人が住めなくなり、地元の祭りもなくなった。地域のつながりが途切れたままだと風化は防げないとの危機感があった。 3月11日に集まるきっかけ… この記事は有料会員記事です。残り705文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あの日の思い、未来へつなぐ 震災の記憶「最後の世代」が語る決意
東日本大震災の発生から11日で11年を迎えた。津波が襲った沿岸部や街中では祈りが捧げられ、式典では防災意識の向上や記憶の継承への決意が語られた。関連死を含む死者・行方不明者は2万2207人。全国でいまなお3万8千人超が避難生活を送る。 午後2時46分。東京電力福島第一原発から約7キロの福島県浪江町の海岸では、サイレンに合わせ黙禱(もくとう)する人々の姿があった。 震災前、この海岸近くで暮らし、義理の両親を亡くした横山恵美子さん(54)は、息子の知明さん(14)とともに手を合わせた。「こういう場所で生まれたんだよと見せたかった」 岸田首相「国が前面に立って復興に全力を尽くす」 福島市で開かれた東日本大震… この記事は有料会員記事です。残り371文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
エアガンで撃たれた傷71カ所 1歳の三男衰弱死 母に懲役8年判決
福岡県田川市で2018年、重度の低栄養状態だった1歳4カ月の三男に必要な治療を受けさせず死亡させたとして、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の無職常慶(じょうけい)藍被告(27)の裁判員裁判で、福岡地裁(溝国禎久裁判長)は11日、「悪質性が相当高い」として懲役8年(求刑懲役12年)の実刑判決を言い渡した。無罪を主張した弁護側は控訴する方針。 判決によると、三男唯雅(ゆいが)ちゃんは18年10月下旬に重度の低栄養状態に陥り、11月上旬には手足やあばらなど計31カ所を骨折、父親の雅則被告(26)=保護責任者遺棄致死と傷害の罪で起訴=にエアソフトガンで撃たれた傷が71カ所あり肺感染症を発症していたのに、常慶被告は病院に連れて行くなどせず、12月1日に田川市の自宅で急性呼吸不全により死亡させた。 弁護側は公判で、被告に軽度の知的障害があり、唯雅ちゃんが病院に連れて行くべき状態だったことを認識できず「故意はない」と無罪を主張。しかし、判決は「一見して明らかな異常といえる。保護が必要な状態を認識していたと推認するのが合理的」と認定。その上で、分離して審理される雅則被告にも当てはまると言及した。唯雅ちゃんは亡くなる3日前ごろまでに医師の診察や治療を受ければ救命可能だった、とも指摘した。 また、常慶被告は長男や長女… この記事は有料会員記事です。残り343文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「まだまだ探し続けるから」 津波で行方不明、妻に誓うシャボン玉
2022年3月11日 18時43分 宮城県女川町の高松康雄さん(65)は午後2時55分、慰霊碑の前でシャボン玉を吹いた。津波で行方が分からない妻の祐子さん(当時47)を捜すため、2013年から海での捜索を続けている。 「祐子を忘れてないからね。まだまだ捜し続けるからね」 震災後、潜水士の資格を取り、今も月に1度、捜索のために海に潜る。 「街の景色は変わったけど、海の中の景色はほとんど変わらない。11年経ったのか。そんな気がしないよ」。祐子さんを見つけるまで、捜索を続ける。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【速報中】津波に消えた妻へシャボン玉 「まだまだ探し続けるから」
11日で東日本大震災から11年となります。震災関連死を含めた死者・行方不明者は2万2207人。失われた命を思い、残された人たちの心の痛みを想像する。そして、これからくる災害への教訓と備えを考える――。そんな1日にしたいと思います。各地の動きをタイムラインでお伝えします。 名取市震災メモリアル公園の慰霊碑で、千個の「電子絵灯籠(とうろう)」が平和を呼びかけるメッセージを発していた。主催者によると、「災害や戦争など形は違えど、人の命が奪われる悲しみが世界から少しでも無くなってほしい」との願いが込められている=2022年3月11日午後6時4分、宮城県名取市、加藤諒撮影 15:30 「おやじ、元気で暮らしているよ」 浪江町の霊園で祈る 福島県浪江町の請戸地区にある霊園では、午後3時半過ぎ、妻と2人で手を合わせる浦島博之さん(57)=茨城県北茨城市=の姿があった。 震災時、浦島さんは仕事で自宅を離れていた。母親は隣家の人と一緒に避難したが、父洽(ひろし)さん(当時73)は自宅にとどまり、津波にのまれた。翌日、自宅周辺を捜索しようとしたが、東京電力福島第一原発事故の影響で捜すことができなかった。 遺体が見つかったのは2011年5月11日。対面できたのは同年6月で、すでに遺骨になっていた。「本当におやじなのかな」と思ったという。 ビールとゴルフが好きだったという洽さん。よくけんかしたというが、この日は墓前に「元気で仕事して暮らしているよ。心配しないで」と報告した。 「毎年3月11日だけは請戸の住民になれる日。この風景を見ると懐かしい」 15:15 紙塔婆を海へ、福島・薄磯の122人を悼む 福島県いわき市で津波被害が最も大きかった薄磯地区。122人の犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑と近くの修徳院で法要が営まれた。僧侶は薄磯海岸まで足を運んで紙塔婆を海に流し、犠牲者の供養をした。 14:55 妻さがす宮城・女川の男性、シャボン玉に誓う 宮城県女川町の高松康雄さん(65)は午後2時55分、慰霊碑の前でシャボン玉を吹いた。津波で行方が分からない妻の祐子さん(当時47)を探すため、2013年から海での捜索を続けている。 「祐子を忘れてないからね。まだまだ探し続けるからね」 震災後、潜水士の資格を取り、今も月に一度、捜索のために海に潜る。 「街の景色は変わったけど、海の中の景色はほとんど変わらない。11年経ったのか。そんな気がしないよ」。祐子さんを見つけるまで、捜索を続ける。 シャボン玉を吹く高松康雄さん=2022年3月11日午後2時55分、宮城県女川町、福岡龍一郎撮影 14:46 母失った遺族会会長「震災前の風景、昨日のように思い出す」 宮城県気仙沼市の波路上杉ノ下(はじかみすぎのした)の高台にある慰霊碑では、地震発生時刻の午後2時46分、遺族ら約150人がサイレンに合わせて海に向かって手をあわせ、黙禱(もくとう)した。 標高約12メートルの高台は、明治三陸大津波でも浸水しなかったため、市が住民と協議を重ねて避難場所に指定したが、東日本大震災では津波は約2メートル上まで到達。避難していた住民約60人が犠牲になった。 母と妻を失った遺族会の佐藤信行会長(71)は「震災前の風景が昨日のように思い出される。まだ17人が家族のもとに帰っていない。早く戻ってきてほしいという気持ちでいっぱいだ」と話した。 14:46 東電社長が黙禱、「社会からの信頼が大前提」と訓示 東京電力の小早川智明社長と社員らは、震災の発生時刻にあわせて福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)で黙禱(もくとう)した。 小早川社長は社員らへの訓示で「福島の復興のためには、安全かつ着実に廃炉作業を進め、社会から信頼されることが大前提」と強調。昨年は廃棄物の収納容器からの放射性物質の漏洩(ろうえい)などトラブルが相次ぎ、信頼を失っているとして、対策を進めるよう求めた。 その後、小早川社長は報道陣の取材に応じた。来春にも始まる処理水の海洋放出について、社会でどれだけ理解が得られたかという認識を問われ、「理解の進捗(しんちょく)度を答える立場にはない」と説明。そのうえで、「安全性を理解してもらえる活動を繰り返していかなければいけないと思っている」と語った。 14:46 「祈りの丘」で黙禱 南三陸町 南三陸町震災復興祈念公園(宮城県南三陸町)内の「祈りの丘」では、午後2時46分、集まった人々が黙禱(もくとう)した。佐藤仁町長ら町職員も参加した。 近くにある自宅で黙禱した後、友人と一緒に祈りの丘に訪れた菅原秋子さんは、津波で自宅が流され、今は復興住宅で暮らす。 「近所では津波で亡くなった人が数人いるし、石巻市などに引っ越した人もいる。道路が整備されて便利になったが、人が減ってさみしくなった」 南三陸町震災復興祈念公園の「祈りの丘」で黙禱(もくとう)する人々=2022年3月11日午後2時46分、宮城県南三陸町、武井風花撮影 14:46 遺族ら集まり追悼式 宮城・東松島 約1100人が亡くなった宮城県東松島市は遺族らを招き、午後2時46分に合わせて追悼式を開いた。渥美巌市長は式辞で「震災を語り継ぐことが被災地自体として重要だと考えている」と述べた。 参列した会社員の本間利明さん(74)は、妻の美枝子さん(当時60)を亡くした。隣の石巻市で働いていた本間さんはかろうじて津波から逃げたが、自宅のあった浜市地区は壊滅的な被害を受けた。 この11年、仕事に打ち込むことで喪失感を紛らわしてきた面もあるという。「以前は妻の話をすると涙が出たんですが、ようやく最近になって抑えられるようになりました」と語る。 午前中は、高校入試の結果を待つ中学3年の孫と一緒に墓を訪れ、「よろしく」と伝えた。「妻は孫をとても可愛がっていて。あの頃が3歳ぐらい。もう高校生になるのか……」 式典を見送る自治体も多いなかで、市が開催したことについて「遺族としてはありがたい」といい、今後も可能なら続けて欲しいという。 14:46 内陸でも祈り「何年たっても思い寄せる」 盛岡 沿岸から離れた内陸でも被災地に思いを寄せる――。盛岡市の市施設「もりおか歴史文化館」の広場では午後2時46分に、約500人が1分間黙禱(もくとう)した。 「祈りの灯火(ともしび)」という催しで、盛岡市など8市町でつくる盛岡広域首長懇談会が主催。ボランティア活動をしている中学生や、関心がある一般の人が集まった。 灯火は震災翌年から始まり、今回で11回目だ。盛岡市の団体職員の女性(47)は、こう話す。 「沿岸から離れているが、何年たっても亡くなった方に思いを寄せることが大事だと思い、参加した」 14:46 「1・17希望の灯り」前で悼む 神戸 […]
「つながるかも」両親に電話、葬儀の後も… 娘に語り始めた命の重み
0、1、9、3――。 岩手県大槌町の海に近い高台にある「風の電話」。服部瞳さん(43)は11日、ボックスの中で黒電話のダイヤルを回し、実家にかけた。 「きょうは暖かくていい天気。海も青くてきれいだよ」。心の中で亡き人に語りかけ、受話器を置いた。 11年前のこの日、服部さんは盛岡市内で車を走らせていた。激しい揺れが道路から伝わり、信号機が前後左右に揺れる。大槌町の海岸近くに住む父倉本謙吾さん(当時65)に電話した。「大丈夫なの、すごい地震だったよ」。母光子さん(当時63)と2人で逃げるよう促して電話を切った。その後、電話がつながることはなかった。 大工の棟梁(とうりょう)で… この記事は有料会員記事です。残り823文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】各地の午後2時46分、思い祈る 東日本大震災11年
2022年3月11日 16時06分 2011年の東日本大震災から、11日で11年になります。 地震発生時刻の午後2時46分、黙禱(もくとう)が捧げられました。 宮城県石巻市の大川小学校の旧校舎前や岩手県陸前高田市の防潮堤で、人々が哀悼の意を示しました。 東京・銀座でも立ち止まった人たちが祈りました。 各地の1日の動きを写真で伝えます。 空から見た被災地 11年後の現在地 東日本大震災から11年。特に甚大な被害を受けた東北の被災3県はどう変化したのでしょうか。それぞれの場所の2011年と2022年の様子を、動画や写真で見比べられます。 【動画】空から見た被災地 11年後の現在地 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【速報中】被災地に響いた「愛の鐘」 午後2時46分、鎮魂の祈り
11日で東日本大震災から11年となります。震災関連死を含めた死者・行方不明者は2万2207人。失われた命を思い、残された人たちの心の痛みを想像する。そして、これからくる災害への教訓と備えを考える――。そんな1日にしたいと思います。各地の動きをタイムラインでお伝えします。 東日本大震災から11年、発災時刻に合わせて伝承施設「閖上の記憶」前で黙禱(もくとう)する人=2022年3月11日午後2時46分、宮城県名取市、加藤諒撮影 14:46 内陸でも祈り「何年たっても思い寄せる」 盛岡 沿岸から離れた内陸でも被災地に思いを寄せる――。盛岡市の市施設「もりおか歴史文化館」の広場では午後2時46分に、約500人が1分間黙禱(もくとう)した。 「祈りの灯火(ともしび)」という催しで、盛岡市など8市町でつくる盛岡広域首長懇談会が主催。ボランティア活動をしている中学生や、関心がある一般の人が集まった。 灯火は震災翌年から始まり、今回で11回目だ。盛岡市の団体職員の女性(47)は、こう話す。 「沿岸から離れているが、何年たっても亡くなった方に思いを寄せることが大事だと思い、参加した」 14:46 首都圏の私鉄、一斉停止の訓練 午後2時46分、首都圏を走る京王電鉄や京急電鉄などは、地震を想定して列車を一斉に停止させる訓練を実施した。最大で30秒ほど停車し、車内でも訓練を伝える放送が流れた。 14:46 岸田首相、福島の祈念式に出席「復興に全力尽くす」 岸田文雄首相は、福島市のとうほう・みんなの文化センターで開かれた福島県主催の東日本大震災追悼復興祈念式に出席し、参列者とともに、地震発生の午後2時46分に黙禱(もくとう)した。震災後、首相が3月11日に被災地を訪問するのは初めて。 首相は追悼の言葉の中で、原子力災害からの復興について、「中長期的な対応が必要」とし、「国が前面に立って、帰還に向けた生活環境の整備や産業・生業の再生支援を進める。福島の本格的な復興・再生、東北の復興に、全力を尽くす」と述べた。 歴代首相は2012年以降、東京都内の政府主催の追悼式に出席してきた。同式は震災10年の昨年で最後となったため、岸田首相は今回、福島県主催の式典に出席した。 14:46 「生きて、記憶伝えていくしかない」 宮城・山元の徳泉寺で法要 震災が発生した午後2時46分に合わせ、宮城県山元町にある徳泉寺で犠牲者を悼む法要が営まれた。集まった町民らは、住職の早坂文明さんらの読経に耳を傾け、亡くなった人に思いをはせた。 海から約300メートルの距離にある徳泉寺は、震災で74人の檀家(だんか)が亡くなった。本堂も津波で流されたが、全国から集まった支援をもとに、2020年3月に再建を果たした。 参列した同町の嶋田由美子さん(62)は、多くの友人を津波で失い、寺の近くにあった自宅も水をかぶって住めなくなった。「津波の直後は『この世の終わり』だと思っていたけれど、多くの支援で生活を立て直すことができた。残された人は生きて、震災の記憶を伝えていくしかないんだと思う」と話した。 14:46 海に向かい祈り「教訓、次の世代へ伝える」 仙台・荒浜小 陸地に迫る津波から多くの人が避難した震災遺構・荒浜小学校(仙台市若林区)の屋上では、地震が起きた午後2時46分、放送に合わせて見学に訪れた多くの人が黙禱(もくとう)した。 初めて同小に来たという地方公務員の女性(38)=同市宮城野区=は長女(3)とともに海に向かって祈りを捧げた。施設内をめぐり、長女に「津波が来たらどうする?」と尋ねると「逃げる!」と答えたという。 「子どものような、震災を知らない世代に教訓を伝えていきたい」 地震発生の時刻に合わせて黙禱(もくとう)する人たち=2022年3月11日午後2時46分、仙台市若林区荒浜の荒浜小学校、根津弥撮影 14:46 鎮魂の鐘の音響く 岩手・大船渡のみなと公園 鎮魂の鐘の音色は、集まった人の祈りを乗せて、沿岸被災地に響いた。 岩手県の大船渡湾に面したみなと公園(大船渡市大船渡町)では午後2時46分、「鎮魂愛の鐘」が鳴らされた。 鐘は2013年、地元のロータリークラブが、同公園近くの別の公園に設置したもの。その公園の復旧工事に伴って18年に撤去されたが、クラブ側が再び置ける場所を探していた。 工事により、もともとあった公園は防潮堤で囲われるようになり、「追悼にふさわしい海が見える場所を」と検討した結果、津波の被害から復旧したみなと公園に決まり、3月11日が新たな披露となった。 鐘は国内外のロータリークラブからの寄付で設置された。設置活動を進めた大船渡西クラブの志田成樹会長(49)は「世界中の善意でできたもの。なんとか形に残したかった」。 鐘を鳴らす大船渡西ロータリークラブの浜守豊秋さん=2022年3月11日午後2時46分、岩手県大船渡市大船渡町、宮脇稜平撮影 13:20 行方不明の娘「はやく帰っておいで」 宮城・女川湾 宮城県女川町の女川湾の沖合に船で出た成田博美さん(62)は午後1時20分、海に向かってピンクの花を投げた。行方不明の長女、絵美さん(当時26歳)の好きな色の花だ。「絵美、はやく帰っておいで」。海のどこかにいる絵美さんに向かって呼びかけた。 3月10日が誕生日の博美さん。11年前は娘に誕生日ケーキを贈ってもらい、その翌日に震災があった。「天国から地獄へ一日で変わった」 10年近く絵美さんはどこかにいると信じてきた。でも最近は「もうこの世では絵美さんに会えないのかな」と思う。 この日は、絵美さんの好きだったハンバーグとからあげの入ったお弁当をつくり、海に流した。毎晩、絵美さんの携帯にメールを送る。「助けられなくてごめんね」。今晩もメールを送る。 「絵美、はやく帰っておいで」。海に花を投げ、成田博美さんが呼びかけた=2022年3月11日午後1時18分、宮城県女川町の女川湾、福岡龍一郎撮影 12:15 「孫に会わせられなかったことが後悔」 仙台・若林区の交流館 仙台市若林区の「せんだい3… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「泥棒に黙秘権があるか」 三重県警の取り調べ、違法と認定 津地裁
岡田真実2022年3月11日 16時14分 三重県志摩市の土産物店から売上金を盗んだ疑いで任意の取り調べを受けた伊勢市の女性(64)が、違法な取り調べで精神的な苦痛を受けたとして、三重県に損害賠償を求めた判決の裁判が10日、津地裁であった。竹内浩史裁判長は、黙秘権の侵害など違法性があったと認め、県に70万円の支払いを命じた。 判決などによると、女性は当時パート従業員として働いていた土産物店から売上金を盗んだとして、2017年12月に鳥羽警察署の男性巡査部長から任意で取り調べを受けた。津地検は19年12月、女性を不起訴処分に。女性は違法な取り調べで精神的な苦痛を受けたとして、県に約120万円の賠償を求めていた。 判決では、取り調べを担当した巡査部長は「泥棒に黙秘権があるか」などと発言し、憲法で保障されている黙秘権を侵害したと認定された。さらに「逮捕する」「刑務所に入れる」といった恫喝(どうかつ)的な発言や人格を否定するような発言を繰り返し、自白の強要にもなり得る方法で取り調べたと指摘。「限度を超えた態様で違法である」と断じた。女性は取り調べをひそかに録音していた。 判決について、三重県警は「今後の対応については判決内容を検討した上で判断したい」とコメントした。(岡田真実) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル