東日本大震災の津波で甚大な被害が出た福島県浪江町の請戸地区で11日午前、共同墓地跡に造られた「先人の丘」の完成式があった。 海岸から約600メートルの場所にある共同墓地は5~10メートルの津波で墓石が壊され、遺骨も流出。一時は墓石は野積みされ、遺骨もあらわになっていた。先人の丘はその跡地に「先人を敬い、地域住民が心を寄せる場」として町が整備した。 残された墓石や収集された遺骨の上に土をかぶせて直径約40メートル、高さ5メートルの丘を造成。合葬墓を設けたほか、流出した地域の記念碑も再び建立した。 完成式には地元住民の代表ら… この記事は有料会員記事です。残り313文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】あの日思い祈る 亡き家族や友人に 東日本大震災11年
2022年3月11日 12時14分 2011年の東日本大震災から、11日で11年になります。 被災地では早朝から、人々が犠牲者に祈りを捧げています。 岩手県陸前高田市の追悼施設の刻銘碑で、犠牲になった親族の名前を探す夫婦や、仙台市若林市の荒浜地区の海岸で、静かに海を見つめる女性の姿もありました。 各地の1日の動きを写真で伝えます。 空から見た被災地 11年後の現在地 東日本大震災から11年。特に甚大な被害を受けた東北の被災3県はどう変化したのでしょうか。それぞれの場所の2011年と2022年の様子を、動画や写真で見比べられます。 【動画】空から見た被災地 11年後の現在地 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【速報中】亡き妻、きっと応援してくれている 東日本大震災11年
11日で東日本大震災から11年となります。震災関連死を含めた死者・行方不明者は2万2207人。失われた命を思い、残された人たちの心の痛みを想像する。そして、これからくる災害への教訓と備えを考える――。そんな1日にしたいと思います。各地の動きをタイムラインでお伝えします。 「ここにいないで、早く帰ろうや」。男性(71)は妻の名前の書かれた慰霊碑の銘板に手を触れた。11年前、仕事を退職し「これから旅行でも楽しもう」と思っていた矢先に妻を津波で亡くした。「自然にはかなわない。しかし、せめて魂は一緒だと思っていたい」=2022年3月11日午前11時4分、宮城県石巻市雄勝、小玉重隆撮影 11:30 高校生が献花台に祈り「被害、改めて知った」 福岡市 福岡市のボランティア団体「夢サークル」の代表吉水恵介さん(65)は午前11時、福岡市中心部の天神・警固公園に手作りの献花台を設けた。近くには、震災後にボランティアで入った宮城県石巻市や仙台市で自ら撮影した写真約150枚を並べた。 献花台で最初に手を合わせたのは、高校の友人4人で天神に遊びに来ていた宮若市の三浦華菜さん(16)と福岡市の三本せりなさん(15)。当時、保育園に通っていた2人に震災の記憶はない。ただ、三浦さんは「今でも行方不明の方がたくさんいるとニュースで知り、被害の大きさを改めて思い知りました」。 吉水さんは「11年経ってもまだ復興は終わっていない。力の続く限り、被災地に寄り添っていきたい」と話した。 高校生の三本せりなさん(左端)や三浦華菜さん(左から2人目)が、献花台に手を合わせた=2022年3月11日午前11時25分、福岡市中央区天神、藤原慎一撮影 11:20 土砂崩れ現場で追悼 「内陸でも被害、伝えていきたい」 福島・白河 土砂崩れが起き、13人が亡くなった福島県白河市。同市葉ノ木平の復興記念公園では、午前11時から犠牲者追悼供養のつどいが営まれ、遺族ら約50人が慰霊碑に手を合わせた。 同地区では震災で、高さ約40メートルの山林が幅100メートルにわたり崩落。約7万5千立方メートルの土砂が崩れ、近くの住宅10棟を土砂がのみ込み、13人の命を奪った。 母親の平山智子さん(当時69)を亡くした須藤里子さん(54)は「11年前のこの日は次女の中学卒業式だった。母も卒業式に誘っていたら」と、今も後悔の念が消えない。 「でも、いつまでも後悔しても仕方がない。母には、昨年生まれたひ孫も元気に育っているよ、と伝えました」 地元自治会長で僧侶の竹貫博隆さん(73)は「津波や原発事故の陰に隠れがちだが、福島の内陸でも犠牲になった人がいたことを風化させないためにも、追悼を続けていきたい」と話した。 11:10 父と祖父母亡くしたロッテ佐々木投手「大切な人がいること、当たり前と思わずに」 岩手県陸前高田市の自宅が東日本大震災時の津波で流され、父と祖父母を亡くしたプロ野球ロッテの佐々木朗希(ろうき)投手(20)が、ZOZOマリンスタジアムで取材に応じた。 佐々木は「震災から11年経っても、そのときのつらさや苦しみはなかなか消えないが、その中で自分が野球に打ち込めているのはたくさんの方々の支えがあるから。支えてくださる人たちに感謝したい」と話した。 当時小学校3年生だった佐々木は「自分がこうして話すことで震災を思い出してもらえる」とした上で、震災を知らない子供たちに向けては「身近に大切な人がいることが当たり前だと思わず向き合って欲しい」とメッセージを送った。 昨季3勝をあげ、今季はエース級の活躍が期待されている。「たくさんの試合に投げて、ひとつでも多くいいプレーを見せることで、東北の方々に喜んでもらえるよう頑張りたい」と決意を新たにしていた。 取材に応じたロッテの佐々木朗希投手 11:00 海岸で行方不明者捜索 なお31人不明 福島・浪江 津波で151人が亡くなった福島県浪江町の海岸で午前11時、県警と消防、海保による行方不明者の捜索が始まった。町ではいまも31人が不明のままだ。 警察官らは一列に並んで砂浜を掘り起こし、骨片や漂着物など行方不明者の手がかりを捜した。双葉署の斉藤雅彦復興支援課長は「今年は去年とは別の場所で捜索している。何か一つでも見つかってほしい」。 この日、福島県内では沿岸部の警察各署が一斉捜索を実施した。県警によると県内では196人が行方不明となっている。 11:00 大学生「学びを防災につなげる」 中浜小そばの慰霊碑 宮城・山元 宮城県山元町の震災遺構・中浜小学校のそばにある慰霊碑には午前11時ごろ、次々と町民らが訪れた。町民らは手を合わせたり、刻まれた名前を一つ一つ確認したりしていた。 中浜小学校を見学した後、慰霊碑を訪れたという仙台市青葉区の大学生小林聡さん(19)は「高校までは県外に住んでいたので震災を実際に経験してはいないが、そんな自分でも津波の恐ろしさが少しだけわかった気がする」。大学では情報工学を学んでいるといい、「学んでいることがどうすれば防災につながるか、これから考えたい」と話した。 10:50 福島・楢葉 町主催の追悼式は開かず 献花台を設置 津波で13人が亡くなった福島県楢葉町は今年から町主催の追悼式は開かず、献花台を設置して誰もが参加できる形式にした。 献花会場は、2018年に完成した商業施設「ここなら笑店街(しょうてんがい)」。10時50分ごろ、献花に訪れた同町の菅波洋子さん(65)は、同僚と親戚の2人を亡くしたという。震災後は原発事故の影響で、新潟県や福島県いわき市で避難生活を送った。震災後の11年を「短いようで長かった」と振り返り、「式典だとなかなか足が向かないが、献花台には買い物のついででも来ることができる。みんなで追悼できていい」と話した。 献花台を訪れた菅波洋子さん。津波で同僚と親戚の2人を亡くしたという=2022年3月11日午前10時52分、福島県楢葉町北田、滝口信之撮影 10:10 「絶対に忘れないと誓った」 仙台・勾当台公園で献花 仙台市役所前の勾当台公園市民広場に設けられた献花場には午前10時50分、市民らが次々と訪れ、花を手向けて手を合わせた。 宮城県石巻市に住む親戚を津… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Play ball! MLB and players reach deal to end lockout
NEW YORK – Major League Baseball and its locked-out players reached an agreement on Thursday on a labor deal that ends the second-longest work stoppage in the game’s history. MLB had initiated a player lockout in December, with months of either silence or flurries of activity on the labor negotiation […]
選挙管理委員長の政治団体、自民から90万受領 全額返金し解散
滋賀県選挙管理委員会の世古正委員長(79)が代表の政治団体「世古正後援会」が、2018年と20年、21年に自民党県連から計90万円の寄付を受けていたことが分かった。世古氏は元自民党県議で県連の幹事長も務めた。公平性を疑われかねないとして寄付金を返し、政治団体の解散届を県選管に提出したという。 朝日新聞の取材に対し、世古氏は「選挙運動には一切かかわっていない」と話している。 世古正後援会の18年分の政… この記事は有料会員記事です。残り560文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
早朝に響くサイレン、集う住民たち 11年前の教訓確かめる津波訓練
2022年3月11日 10時00分 東日本大震災から11年となった11日、被災地では教訓を引き継ごうとする住民たちの姿があった。 岩手県沿岸の宮古市。太陽が昇り、明るくなり始めた11日午前6時すぎ、街にサイレンが響き渡った。津波避難訓練の合図だ。 震災前から市は毎年、避難訓練を実施している。避難場所の一つに指定されている市立赤前小学校には、坂道を上って近所の人たちが早朝から集まった。 今年の訓練は、日本海溝付近を震源地とする地震が起き、大津波警報が発表されたという想定。市民は、市が指定した緊急避難場所130カ所などに向かう道のりの確認などをした。 コロナ禍の影響で避難所は開設せず、建物は開放しない形で行われた。赤前小学校では市民が校舎の入り口前に集まり、寒さを我慢していた。 久保田純子さん(44)は子どもたちと家族4人で参加。避難所から歩いて10分ほどの自宅は、東日本大震災で半壊した。子どもたちとは普段から「家に自分たちだけでいたら、どう行動するか」「どの坂を通って逃げるか」などを細かく話し合っているという。 毎年参加している佐々木チヱさん(89)は「家を出たら、近所の防災会の人が待っていて手を貸してくれた。安心して参加できた」と話した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
責任を認めさせるまでは生きる 国や東電を提訴した男性の覚悟
【山梨】東京電力福島第一原発事故から11年。故郷を追われた人の中には、国や東電の対応に納得できず、責任を問い続ける人たちがいる。「10年経た今だからこそ」と昨年裁判を起こした避難者を訪ねた。 福島県飯舘村の元職員、菅野哲(ひろし)さん(73)。父が苦労して開拓した農地を守ろうと、退職後に農業に挑戦。野菜の栽培が順調にみえた2011年、豊かな実りをもたらしてきた土地を、突然奪われた。 40キロほど南東にある原発が爆発、高濃度の放射性物質が降り注いだからだ。その事実を研究者から耳にし、村民をすぐ避難させるよう役場に進言したが、聞き入れてもらえない。 「村の水道や焼却施設を管理した経験もあったので、何が危険なのか分かっていた。『水を止めろ』とも伝えたが、すぐに動いてもらえなかった」 国が村を避難区域に指定し、「全村避難」が始まるのに、事故から1カ月以上を要した。「国も東電も、県も村も、最初は『低線量だから安全』と言っていた。正確な情報を与えてもらえず避難が遅れ、村民は高線量の初期被曝(ひばく)を受けてしまった」 お金の問題じゃない 菅野さんは14年、事故の賠… この記事は有料会員記事です。残り991文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
仮面ライダー35人が集合 生誕50周年で企画展
【動画】生誕50周年記念 THE仮面ライダー展オープニングセレモニー=小原智恵撮影 仮面ライダーが生誕50周年を迎えたのを記念した展覧会「THE仮面ライダー展」が11日、名古屋市中区の金山南ビル(旧名古屋ボストン美術館)で開幕する。 開幕を前に10日、オープニングセレモニーが行われ、歴代のライダー35人が集合した。展覧会では1971年にテレビ放送が始まり、昭和、平成、令和と愛されてきた仮面ライダーを様々な展示から紹介する。来月10日まで。 名古屋展のスペシャルアンバサダーで仮面ライダーに出演経験のある小林豊さん(BOYS AND MEN)は「一人一人、自分の思い描く仮面ライダーは違うと思いますが、少年少女の気持ちに戻れて楽しんでもらえると思います」。(小原智恵) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
北海道のバナナの葉はおいしいゾウ 新得の牧場と円山動物園コラボ
【動画】牧場から贈られたバナナに突進! 円山動物園のアジアゾウたち=中沢滋人撮影 乳牛のふんを利用したバイオガス発電の余熱を使ったバナナ栽培に取り組む北海道新得(しんとく)町の「友夢(ゆうむ)牧場」と札幌市の円山動物園が、バナナの葉や茎をアジアゾウの餌にする取り組みを始めた。熱帯に生息するゾウにとってバナナは大好物だが、これまでまとまった量を入手するのが難しかった。飼育環境を整えて動物の暮らしを豊かにする「環境エンリッチメント」にも役立ちそうだ。 8日、円山動物園で贈呈式があった。前日に友夢牧場の温室で刈り取られた900キロのバナナの葉や茎が運び込まれた。ゾウ舎の運動場の土に穴をあけ、茎を15本ほど立てた。 ここで飼育されている4頭のアジアゾウは2018年秋にミャンマーからやってきた。オスのシーシュはバナナの茎を見るなり、突進して数本をなぎ倒して口に運んだ。メスのパールも鼻を器用に動かしながら、茎の皮をむいて中心部分から食べていた。 牧場は16年、バイオガスプラントを整備した。発電の余熱を使って農業用ハウスでメロンの水耕栽培をする傍ら、3年前からバナナの試験栽培を始めた。厳冬期でも安定的に収穫できるようになり、昨秋から一般向けに出荷する。 バナナは実をつけたあとは枯… この記事は有料会員記事です。残り530文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「復興の象徴」でも年収400万届かず…表面化する被災地のジレンマ
東日本大震災の津波被災地では、巨額の復興予算を投じて住まいや産業の再生が進められてきた。ハードの整備が完了したいま、暮らしやなりわいをどう持続可能なものにしてゆくか。課題もみえてきた。 宮城県石巻市の牡鹿半島の付け根に、山すそを切りひらいた佐須団地がある。40戸ほどあった佐須浜集落が津波をかぶり、防災集団移転促進事業で高台につくられた。ただ、15区画のうち、いま家が立つのは8区画だけだ。 造成に時間がかかり、宅地をキャンセルして集落を出る住民が相次いだためだ。盛んだったカキ養殖を続けるのは5軒、後継ぎがいるのは2軒ほど。夫婦2人で新居を構えた本間文雄さん(69)は「いずれ佐須浜が消える」と不安顔だ。 いいニュースもある。首都圏… この記事は有料会員記事です。残り2214文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル