かつて海女が餌やりを披露した回遊水槽の前に立つ里中知之さん。建物は閉鎖されている=2021年11月10日午前11時56分、三重県志摩市、臼井昭仁撮影 半世紀超の歴史を持つ水族館がこの春、閉館した。累計1270万人が訪れ、上皇ご夫妻も足を運んだ三重県志摩市の志摩マリンランド。昨年12月、「閉じることになった」と突然の宣告があって以来、館長たちは生き物の引っ越し作業に追われ、今月すべての残務整理を終えた。最後の1年間を追った。 「生きものたちにはきっとどこかで出会えます」「すべての方に幸あれ」 閉鎖されたマリンランドの玄関。最後の営業日となった今年3月31日に従業員らが書いたメッセージボードが残されたままになっていた。 今月10日、最後の館長となった里中知之さん(55)の案内で、中に入った。 閉館し、何もいなくなった水族館。7千超の生き物たちはどこへ…。記事の後半には動画もあります。 奥へ進むと真っ暗闇に。懐中… この記事は有料会員記事です。残り3008文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Steady MVP Yuhei Nakamura guides Swallows to Japan Series title
Kobe – It had to be Yuhei Nakamura. If the Tokyo Yakult Swallows were going to finish off an already stunning season with a Japan Series championship, it was only fitting Nakamura, the team’s longtime catcher, ended up on the podium as the MVP when it was all said and […]
千代田区の通信制中学校、来年度も存続へ 全国で唯一、卒業資格OK
高浜行人2021年11月28日 14時59分 全国で唯一、卒業資格がとれる東京都内の通信制中学校が、来年度も存続する見通しになった。今年度の在籍生徒は3年生1人のみで、休校が懸念されていたが、今月、来年度入学生を募ったところ、都内の15人から応募があった。 存続するのは、千代田区立神田一橋中学校の通信教育課程。1948年に設置され、中卒資格が取りたい人や学び直したい人から人気を集めた。だが、近年は応募が減り、20年度と21年度はゼロだった。 区教委は、現在の87歳以上に当たる「尋常小学校卒業や国民学校初等科の修了者」に限っていた入学対象を、中学で十分学べなかった65歳以上にも広げて今月1日から19日に来年度入学生を募集。こうした状況を朝日新聞などが報じたことで見学希望者が相次ぎ、最終的に都内の67~91歳の男女15人が応募した。 12月4日に試験があるが、近年、不合格になったケースはないという。堀越勉校長は「勉強したいという強い気持ちに応えられるような学校づくりをしていきたい」と話す。 存続に向けて署名活動をした市民団体「夜間中学校と教育を語る会」の関本保孝さん(67)は「学びの機会が確保されたことはよかった。きめ細かい教育活動ができるよう、東京都には適正な教員配置を検討してほしい」と話す。(高浜行人) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
唐沢寿明さんから突然の電話 博物館へ贈られた「2000GT」
「幻の名車」と呼ばれる、スポーツカー「トヨタ 2000GT」。生産された337台のうちの1台がこの秋、往年の名車がそろうトヨタ博物館(愛知県長久手市)に寄贈された。 贈り主は、俳優の唐沢寿明さん。はじまりは、1本の電話だった。 「以前ドラマの撮影でお世話になった、俳優の唐沢寿明です」 今年8月中旬、博物館の代表電話がなった。その声の主は、数々の映画やドラマで主演を務めてきた俳優本人だった。愛車を手放すにあたり、博物館に寄贈したいという相談だった。 「ボンドカー」で話題 2000GTは1964年、当時のトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)が、ヤマハ発動機の協力を得て開発に着手。世界中で優れたスポーツカーが相次いで誕生していた当時、トヨタも高性能車をつくることをめざしていた。 その性能は、最高時速220… この記事は有料会員記事です。残り660文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
北海道にいないと言われるが…円山公園のゴキブリはどこから来たのか
【動画】円山公園のゴキブリはどこから来たのか=戸田拓、松尾一郎撮影 夏の夜にはゴキブリを観察できる円山公園=2021年11月15日、札幌市中央区、松尾一郎撮影 テレビやラジオなどでもたびたび取り上げられる「北海道にゴキブリはいない」説。結論から言えば、「いる」のだが、本州以南でのゴキブリとは事情がちょっと違うようだ。今年夏、記者が札幌市の名所で目撃したゴキブリのコロニー(生物集団)の実態を追った。 8月中旬の夜9時ごろ、札幌市中央区の円山公園を散策していた時のこと。ジョギング愛好家が走り抜ける小道のそばに目をやると、立ち木の根元付近でカサカサとうごめく小さな影が多数見えた。2本の長い触角、濃い茶色の体……。時には口に出すこともはばかられる「G」。ゴキブリそのものだった。 札幌市中央区にある円山公園。札幌駅や大通公園からもほど近い場所だ 札幌市中心部の木に数十匹 公園内にあるハルニレなどの古木の、ゴツゴツとした表皮や空洞になった幹の内側から出たり入ったり。樹液を大量に出している大きな樹木や周囲の地面でもガサゴソ。1本の木に数十匹。数の多さから繁殖をともなったコロニーにみえた。涼しくなった9月下旬まで容易に観察できた。 このゴキブリの集団は何か。まずは専門家に尋ねた。コオロギを仮死させる指技を持つ北海道大学電子科学研究所の西野浩史助教だ。 西野さんは、その答えを持っていた。「円山公園から採ってきたヤマトゴキブリです」。見せてくれたのは今年夏の夜、円山公園で捕獲し、えさを与えて飼育ケースで育てていたものだった。 「ヤマトは今や希少種ですよ… この記事は有料会員記事です。残り2323文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ポストは満杯、いつもの電話もない…ヤクルト販売員は異変に気づいた
石垣明真2021年11月28日 10時30分 【千葉】自室で衰弱していた一人暮らしの70代女性の人命救助に貢献したとして、佐倉署は26日、ヤクルト販売員の野口梓さん(40)に感謝状を贈った。外からは見えない女性の異変を察知できたのは、野口さんが感じた違和感からだった。 野口さんが佐倉市内のエリアを担当するようになったのは約3年半前。今回救助された女性はその時からのお得意様だったといい、話し好きで、会うとよく昔話を聞かせてくれたという。 いつも通り、事前の連絡を受けて、野口さんが12日に女性宅を訪問したところ、インターホンを押しても反応がなかった。これまでもよくあったことで、気には留めていなかったという。しかし、休みを除く13日と16日に再訪問したものの、やはり応答がない。いつもだったらあるはずの「寝てたからごめんね」といった電話もかかってきていなかった。女性宅のポストには新聞やチラシがたまっていた。 そして17日、再び訪問した野口さんの目の前には、相変わらず満杯のポストと、反応のないインターホン。「これはおかしいな」と思った瞬間、ふと思い出した。「10月に来たとき、女性のろれつが回っていなかったような気がする」。野口さんが思い切って近所の交番に連絡したところ、駆けつけた警察官が寝室で衰弱していた女性を発見。女性は無事病院に運ばれたという。 野口さんは「警察を呼んじゃってもよかったのかなという気持ちもあったが、助けられて良かった」と笑顔で話した。(石垣明真) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
車の上に大量のハトのなぜ 実はゴッホも見分けるハトの眼力
日差しが暖かかった11月中旬の昼下がり。東京都中央区の都営地下鉄築地市場駅近くの路上を歩いていると、驚きの光景が目に飛び込んできた。車の屋根にハトが留まっている。それもざっと30羽以上。なぜなのか。専門家に聞いてみると、知らなかったハトの生態が見えてきた。 現場は人通りも、車通りもそこそこある道路。ハトが群がっていた車が停車していた路肩の真横には小さな公園があった。ハトは「クルッ、クルッ」と言うだけで、その場を離れようとしない。車をとめて休憩していた所有者も困り顔だった。「別にエサをまいているわけでもないのになぜ……」。車の屋根は日当たりがよく、暖かいからなのか――。皆目見当がつかなかった。 ハトの識別能力を示した先駆的な研究で知られ、「人々を笑わせ、考えさせる」イグ・ノーベル賞を1995年に受けた慶応大学の渡辺茂名誉教授によると、ハトが留まる場所を選ぶ理由は主に二つあるという。 ■ハトの狙いは… 一つは安全性だ。ハトには天… この記事は会員記事です。残り718文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
3年B組「坪井先生」の愉快な教室 顔引きつらせ、一度だけ怒った
教壇で声を張り上げていた先生は、やがて被爆者の象徴的存在になり、いつしか世界的なヒバクシャになった。その傍らで、卒業後も60年以上にわたって、「3年B組」の教え子たちとクラス会を続けていた。入退院を繰り返していた坪井直(すなお)さんが、担任として卒業させたクラスは三つだけ。坪井さんが「宝物」と表現したB組の44人は、坪井先生から生涯をかけて教えてもらったことがある。 「泣かんのよ。泣いても戻ってこん。先生はやりきったんだから」。10月27日、広島市南区の村上美鈴さん(77)は恩師の訃報(ふほう)を知り、何人かのクラスの友人に電話をかけた。電話口で声を詰まらせる級友を励ましながら、自分の声も震えていた。村上さんにとって坪井さんは、ずっと「先生」だったからだ。 ◇ 1957年4月、当時31歳の坪井さんは広島県熊野町の町立熊野中学校に転勤し、2年B組の担任になった。B組だった村上さんは始業式の日、坪井先生が教室に入ってくるなり周りが明るくなったことを覚えている。先生はいつも笑顔で、穏やかで、小さなことにこだわらなかった。髪の毛を左右にきっちりと分け、授業中も冗談を言って笑わせてくれる先生を、「嫌いな生徒はいなかった」と振り返る。 そんな先生につらい過去があるとは知らなかった。 放課後の帰りがけ、校内放送で「NHKのラジオをよく聞いておきましょう」と流れた。 96歳まで訴え続けた「核兵器のない世界」 その原動力は 戦後、数学の教員となった坪井直さん。戦後30年、教師らがまとめた体験集では、すでに風化への危機感があったといいます。核と人類取材センターの武田肇記者と広島総局の福富旅史記者に聞きました。 Apple PodcastやSpotifyなどで配信しています。音声プレーヤーの右上にある「i」の右上にあるボタン(購読)でリンクが表示されます。 その夜、勉強の手を止め、眠… この記事は有料会員記事です。残り1414文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
いじめゼロ、得意を伸ばす未来の学校 ニトリ会長と子どもたちが対談
学校で生きづらさを感じている子どもたちの未来を開くには、どうすればいいのか。家具・インテリア販売大手ニトリホールディングス会長で、発達障害を公表している似鳥昭雄さんと子どもたちの対談が今月14日、東京大学先端科学技術研究センターで開かれた。子どもたちが考えた未来の学校像とは――。 イベントは「LEARN with NITORI ~未来の子どもの学びを考える2つの座談会」。2014年から突出した能力のある子ども向けの異才発掘プロジェクト「ROCKET」を行ってきた東大先端研の中邑賢龍研究室が、幅広い子たちを対象に、今年6月、新たに始めたプログラム「LEARN」の一環で開催した。全国から小学生~18歳の約20人が参加した。 「学校がつまらなかった。苦手なことを普通にさせようとする所だから」 教室に端末持ち込み「ずるい」の声 受験にも壁 都内の小学6年、なおさんはそう訴えた。読み書きが苦手で、小3の時に学校にタブレット端末を持ち込みたいと申し出たが、認められなかった。校長が代わって小4で認められると、周囲の子から「一人だけずるい」と言われた。今は国のGIGAスクール構想で1人1台の端末が配備され、みんなが使い方を聞いてきて、学校も楽しくなった。 学力もあり中学受験を考えている。だが、障害者差別解消法で合理的配慮が義務づけられているにもかかわらず、デジタル教育が盛んな多くの私立中も、入試での端末使用は不可能と言われる。「みんなの得意な部分を伸ばし、僕が生徒のアイデアを商品化する学校をつくりたい」と訴えた。 朝日新聞社は12月4日、読み書き障害など、学びに凸凹のある子の進学と学びを語る、無料オンラインイベントを開催します。大学入試センターの担当者やデジタルツールに詳しい教諭、受験を経験した学生らが登壇します。詳しくはこちらから。https://que.digital.asahi.com/question/11006318 ■母から教わった「人の考えな… この記事は会員記事です。残り861文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
気管切開せずに退院したアリスちゃん、幼稚園での生活も楽しむ
小児看護専門看護師 萩原綾子さん 私が脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)のアリスちゃんと家族に会ったのは、2007年夏のことです。院内で議論を重ね、気管切開せずに退院することが決まり、退院前カンファレンス(会議)でごあいさつをしました。 3歳3カ月だった同年10月にアリスちゃんは退院しました。リスクの高い状態での退院だったので、訪問診療する在宅医や訪問看護師らとの意思統一もしっかり図っておかないといけません。そのために退院する前、関係者が集まった会議「退院前カンファレンス」を開くのが常です。 子どもの在宅療養は、高齢者のそれとは若干違います。在宅療養は、難しい言葉でいうと「地域包括ケアシステム」という仕組みのなかで運営されています。在宅医や訪問看護師、介護系サービスなどと連携しながら、地域の中で穏やかに亡くなっていくシステムです。高齢者の場合は、ケアマネジャーが全体を差配し、現在は子どもの場合は相談支援専門員や医療的ケアコーディネーターの育成を国が進めています。しかし07年当時の子どもの場合、ケアマネジャーがいませんでした。そのため、病院の地域医療連携室などがコーディネーターとして初動することがほとんどでした。 退院前カンファレンスには… この記事は会員記事です。残り962文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル