昭和16年12月8日に先の大戦が開戦して78年。千葉市中央区在住の元海軍整備兵、林茂太郎さん(96)が産経新聞の取材に応じ、米軍機が香取航空基地(千葉県匝瑳(そうさ)市、旭市)に襲来し、猛烈な機銃掃射を行ったことなどの戦争体験を語った。 【写真】海軍時代の林さん 林さんは大正12年、千葉市で生まれた。昭和16年11月、軍港があった神奈川県横須賀市で軍関連の仕事を始めた。同年12月8日、日本海軍が米国・ハワイの真珠湾を奇襲した。 「日本軍が真珠湾を攻撃したことを新聞で読んで、『やったなあ。これは大変だ』と思った」と回想する。 翌17年、米軍の爆撃機が横須賀上空に飛来したのを目撃した。「開戦して、まだ間がないでしょう。まさか米軍の爆撃機が飛んでくるとは。びっくりした」と語る。 19年1月、林さんは徴兵で香取海軍航空隊整備学校に入り、軍用機の整備を学んだ。兵舎は2階建てで、若い整備兵たちが寝泊まりしていた。午前中が学科、午後は実習が中心だったという。 「整列するとき、動作が遅いと、上官から棒で尻を何発もたたかれる。厳しかったですよ。4キロやせた」と振り返る。 同期の整備兵約200人が輸送船で南方の戦線に送られた。だが、途中、台湾沖で魚雷攻撃を受け、輸送船は沈没したという。 戦争末期。米軍の本土攻撃が激しくなった。香取基地では空襲に備え、掩体(えんたい)壕を設置し、軍用機を収容していた。 昼間、米軍機が編隊を組んで飛来した。狙いを定めるかのように上空を旋回する。やがて米軍機は急降下し、地上すれすれに低空飛行。掩体壕の中の軍用機に向けて激しい機銃掃射を行った。 「日本軍は勇敢だが、米軍だって勇敢だった」 整備学校の炊事場に爆弾が落下し、吹っ飛んだこともあったという。 一方、東京を空襲した米軍の爆撃機が日本軍の攻撃を受け、機体から火を噴いて飛行するさまも目撃した。搭乗員が落下傘で脱出し、千葉県銚子沖に着水したことを記憶している。 20年8月15日、林さんは千葉県内で終戦を迎えた。 「終戦の日は、山に掘った横穴にこもっていた。まだ、戦争を継続すると思っていた」と振り返る。 リュックを背負って帰郷した。家族は温かく迎えてくれた。 林さんは「生きて帰った。これからは親孝行しようと思った。それを一番、覚えています」と静かに語った。(塩塚保) ■香取航空基地 海軍の軍用飛行場で、千葉県匝瑳市と同県旭市にまたがって整備された。滑走路は2本で互いの中央部が十字状に交差していた。また、米軍の空襲に備え、多くの掩体壕が設置され、軍用機を収容していた。昭和20年、特攻隊が硫黄島方面に出撃。米艦隊を攻撃した。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「コンビニコーヒー」多くで注いだ男性、なんで立件されないの?(弁護士ドットコム)
コンビニのセルフコーヒーで、支払った金額よりも大きいサイズの分量を注いでいたとして、陸上自衛隊・小平学校につとめる50代男性の防衛事務官が12月2日、懲戒処分(停職20日)となった。今回は立件されなかったということだが、過去には、逮捕されたケースもある。その境目はどこにあるのだろうか。 ●男性事務官は「立件」されなかった 陸上自衛隊・小平駐屯地によると、男性事務官はことし2月12日から5月14日にかけて、東京都内のコンビニのセルフコーヒーで、複数回にわたって、支払った金額よりも大きいサイズの分量のコーヒーを注いでいたという。 コンビニ店員が5月14日、男性事務官がコーヒーを多く注いでいるところを見つけて、注意したうえで、警察に通報した。「店側とのやり取りの中で、立件されないことになった」という。差額分の2550円はすでに弁償されているそうだ。 コンビニのセルフコーヒーをめぐっては、福岡県那珂川市でことし1月、60代の男性会社員が窃盗の疑いで県警に逮捕される事件が起きている。こちらについては、レギュラーサイズのコーヒー代100円を支払ったけれど、コーヒーマシンで150円のカフェラテを注いでいたという事案だった。 ●警察はすべての犯罪をかならず立件するわけではない ということは、今回の男性事務官も、犯罪に問われそうだが・・・。畑中優宏弁護士が解説する。 「一般的に、コンビニ店(店長)の意思に反して商品を持ち去った場合、窃盗罪に問われます。男性事務官は小サイズのコーヒー代を支払っただけなので、店側は大サイズのコーヒーまで渡す意思はないはずです。よって、大サイズの分量を注いだ場合、店側の意思に反して大サイズのコーヒーを持ち去ったとして、窃盗罪に問われる可能性があります」 どうして、立件されなかったのだろうか。 「警察はすべての犯罪をかならず立件するわけではなく、犯罪の重さ、弁償の有無、被害者の意向などの事情を考慮して、立件するかどうかを判断します。被害額は、差額分2550円で、店にとって決して少なくないものです。しかし、弁償されたことや店側の意向などの事情が考慮され、立件されなかったのだと考えられます」 【取材協力弁護士】畑中 優宏(はたなか・まさひろ)弁護士公立小学校の教員を8年間勤めた後、弁護士をめざして司法試験に合格しました。学校現場の問題には詳しく、相談も多く受けています。 事務所名:弁護士法人湘南よこすか法律事務所 逗子事務所事務所URL:http://www.sy-law.jp Source : 国内 – Yahoo!ニュース
HD窃盗容疑の元社員送検 警視庁、神奈川県文書流出(共同通信)
神奈川県の行政文書を保存したハードディスク(HD)18個がインターネットオークションを通じて流出した問題で、警視庁捜査3課は8日、別のHDを職場から盗んだとして窃盗の疑いで逮捕した情報機器会社「ブロードリンク」(東京)の元社員高橋雄一容疑者(51)を送検した。 午前7時45分ごろ、黒いジャージー姿の高橋容疑者はゆっくりとした足取りで車に乗り込み、大森署を出発した。 送検容疑は3日午前6時40分ごろ、東京都大田区にある同社テクニカルセンターのデータ消去室に保管されたHD12個(時価計2万4千円相当)を盗んだ疑い。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「ロックン・ローヤー」島昭宏弁護士、法律と音楽で「社会をひっくり返す」(弁護士ドットコム)
伝説のロックバンド「THE FOOLS」のボーカルで、ミュージシャンの伊藤耕さん(当時62歳)が、刑務所や病院で適切な処置をしてもらえず、服役中に亡くなったとして、伊藤さんの妻が国を相手に損害賠償請求訴訟を起こした報道が10月に話題になった。遺族の代理人をつとめる島明宏弁護士は、自身もロック・ミュージシャンだ。島弁護士はどんな道を歩んできたのか。ライター、鳥井賀句さんによるインタビューを掲載する。 ●「ロックで社会を変えたいと思うようになった」 現役の弁護士でありながらロック・ミュージシャンをやっているという変わり種弁護士がいる。その名は島昭宏、1962年名古屋生まれの57歳。実は彼のことは80年代から当時彼がやっていたThe JUMPSというパンク・ロック・バンドのヴォーカリストの島キクジロウとして知っていた。彼は自らのバンドで歌うだけではなく、「JUST A BEAT SHOW」という定期イベントを企画し、当時のライブ・ハウス・シーンで積極的なオーガナイズ活動をしていた。彼が主催していたそのイベントは20年間で300回も続き、そこにはブルーハーツやストリート・スライダース、ミッシェルガン・エレファントといった、後にメジャー・レコード会社からデヴューしブレイクする逸材たちも参加していた。始めに彼がバンド活動をやるようになったきっかけについて聞いてみた。 「小学生の頃にフォーク・ソングが好きになって、最初は吉田拓郎を聴いていたんだけど、岡林信康が強烈なメッセージを歌っているのを聴いて、反戦フォークとかにのめり込んでいったんですね。高校の頃にパンク・ロックと出会って、イギリスのクラッシュに凄く影響されてバンドをやるようになったのね。大学は政経学部を出たけど、卒業しても会社員にはならずに、塾の先生とかエロ本の出版社でバイトしたりしながらバンド活動をやってましたね。小学校の頃から佐山事件とか、岡林信康の『手紙』という曲で部落差別の事を知ったり、中一の時に有吉佐和子の『複合汚染』を読んで、もう物質的豊かさを求めるような社会には未来はないな、という思いが自分の中にあって、それが社会に対して問題提起を歌うパンク・ロックと出会って、ロックで社会を変えたいと思うようになったんですね」 ●「このまま売れないバンドをやってても世界は1ミリも動かんな」 そんな熱烈なロックン・ローラーであった彼が、何故に弁護士になろうと思ったのか興味があった。 「41歳の誕生日を迎えた時に、ああ俺は16歳から25年もバンドをやってきたのか、でも世の中ひっくり返したくてバンドをやってたけど、このまま売れないバンドをやってても世界は1ミリも動かんなと思ったんだね。だったらまだあと25年は人生残ってるなら何をやるかと考えてみたんですよ。それで丁度司法試験に環境法が新しい科目として入ったと知って、弁護士として関わってみようかと思ったんですね。それで4年間ロースクールに通って必死に勉強して2年目で通りました」 2010年12月に48歳で弁護士登録をした島弁護士は、2011年1月に日本の電力会社にCO2を削減させようと呼びかけるシロクマ弁護団に加入するが、その2か月後に福島で原発事故が起こると、ゼネラル・エレクトリックや日立、東芝を相手に4200人の原告団の団長となり、原発事故発生時に原発メーカーは責任を免除されるとする原子力損害賠償法は違憲であるとして14年1月に原発メーカーの賠償責任を訴えた。だが最高裁でも棄却され、来年3月に国家賠償請求の裁判を始める予定だという。 「当時は原発問題は電気の作り方の選択といったように捉えられていたけど、実際は社会構造の経済の仕組みそのものであったわけなんですよ。それを崩壊させるということが、日本の経済の在り方を変えていくことだと見えてきたんです」 島弁護士はノー・ニュークス権という言葉を発案している。それは原子力の恐怖や不安から免れて生きる権利は、今や全人類の権利であるということである。原子力の恐怖から逃れて生きる権利が実現する社会を目指し世界中に張り巡らされた責任集中制度という原発体制を保護する仕組みそのものに闘いを挑んでいるのである。それは世界中の脱原発を願う人々と連帯する国際的な運動の出発点でもあるだろう。 ●刑務所での病死「証拠も十分揃っているし、勝てる」 その他にも島弁護士は様々な案件を抱えていて、動物の殺処分を無くそうという動物愛護議連のアドバイザーをして、動物愛護法の改正にも尽力しているが、最近ではインディーズ・ロック界のカリスマ的ロック・シンガーだったFoolsの伊藤耕が2017年10月に覚せい剤取締法違反のため服役していた北海道の刑務所で病死した件は、刑務所が適切な処置を怠って彼を放置した結果だったと訴えた遺族の代理人も務めている。 「伊藤耕の件は、死因もはっきりせず、司法解剖も行われなかったことに遺族が不信を抱き、遺体を補完してもらって、もう一人刑事事件を担当してきた弁護士が証拠保全の手続きをして色々な証拠を確保し、実際解剖してもらい解剖の結果と証拠を照らし合わせてみたら、明らかにこれは対応をちゃんとしていれば死なずに済んだということが見えてきたんですね。死体検案書には『肝硬変からくる肝細胞がん破裂による出血性ショック』となっていたが実際の病名は絞扼性イレウスという腸閉塞の一種で、盲腸のようにちゃんと手術すればすぐに治る病気だった。 1回目に耕くんが腹痛を訴えて医者に見せた時には触診だけでレントゲンも撮らずに痛み止めを打っただけだった。次の日は何回も吐いたり倒れたりしているのに、結局夕方まで放置され、病院に連れていかれた時は既に心肺停止状態だったんだよね。これは勿論伊藤耕の事例ではあるけれど、こういうことが刑務所内や入管の中で行われているんじゃないかと前から思っていたことが明らかになった事案なので、そういうことをもっと社会に問題提起していきたいと思う。伊藤耕の場合は証拠も十分揃っているし、これは勝てると思っていますよ」 ●ロック・シンガーとしての活動も再スタート 41歳の時にロック・ミュージシャンとしての活動をストップし、弁護士になる道を歩み始めた島氏だが、実はここ数年前からまたロック・シンガーとしての活動も再スタートさせ、今年の9月にはセカンド・アルバムとなる『KNOW YOUR RIGHTS』というアルバムをディスク・ユニオンからリリースし、全国で30回以上のライブ・ツアーも行っている。ちなみにそのバンド名は島キクジロウ& NO NUKES RIGHTSである。 「音楽を全くやめてたわけじゃなくて、反原発の集会なんかで頼まれて歌ったりしてたんだけど、だんだんと一人でやるより誰かを呼んでやった方が面白いと、昔のバンド仲間に声をかけているうちにいつの間にかバンドになってた。自分としてはバンド活動をすることで『ノー・ニュークス権』という言葉が少しでも広まって、若い人たちにも原発やエネルギー問題にも関心を持ってもらえたらと思っているんですよ」 そのアルバムは憲法第9条や21条の条文を歌い込んだ「Dance to the 9」、「Dance to the 21」と言った曲や、北極の氷が溶けて、南の島が海に沈んでいくという環境破壊を訴えた歌、パレスチナのムスリムの戦士を称えた歌、沖縄の新辺野古基地建設への反対表明など、全ての曲が今日的な社会情勢を鋭く見つめ、正義と自由を求めるある種のアンセムとなっている。単なる趣味で音楽をやっているのではなく、彼がバンドを通して歌いかけている歌は、弁護士として彼が社会に訴えている事案と見事にリンクしている。 弁護士島昭宏は、法廷の場で、また音楽の場で、一貫して国民の権利と正義を主張し続ける世界でも希少なロックン・ローヤーであることに間違いはないだろう。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
帰らぬ愛犬…わかっていた 北海道、ある軍用犬の物語
【動画】戦場に散った犬と飼い主の思いに迫る=朝日新聞、北海道テレビ放送共同取材 1939年。当時映画館で本編の合間に上映されていた子ども向けニュース映画「アサヒコドモグラフ」は、犬たちが中心の行進の模様を伝えた。晴れやかな服装に身を包んだ飼い主、多くの日の丸がはためき、紙吹雪が舞う市街地を、犬たちが練り歩く。 華やかな街を行進した意味 「アサヒコドモグラフ」はナレーションで「戦地で兵隊さんたちの間にまじってたくさんの手柄をたてている軍用犬。これは、北海道のある街から出征した軍用犬たちの勇ましい姿です」と説明した。「ある街」とは当時、北日本有数の経済の拠点として繁栄した港町・小樽だ。 映像には、軍用犬を盛大に送り出す出征の様子が描かれていた。撮影された80年前、イヌと飼い主たちは小樽の目抜き通りを行進。 小樽の総鎮守・住吉神社を出発して商店街を通り抜け、小樽駅に至るコースだった。 小樽市総合博物館の菅原慶郎学芸員は、撮影されたロケーションについて「商店街が一番あり、人の集まっている繁華なところ」といい、そういう場所を選んだことに「犬たちを戦争に送り出すことの本質的な意味があるのではないか」と話す。国を挙げて戦争に向かう「機運」を盛り上げる意図のため、犬たちはもっとも華やかなコースを歩んだというのだ。 和服の女性、ひざにシェパード その3年後の1942年。まだ写真を撮ることが特別な機会だった時代、札幌・円山の有名写真館で撮影された1枚の画像に、和服を着た女性のひざに前足を乗せたシェパード犬が写っていた。この犬もまた、戦場に送り込まれることになる軍用犬だった。 10月、JR仁木駅(仁木町)… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
迫り来る死、42歳哲学者の思索 世界は始まりに充ちて
目の前に突きつけられた死を、どう受け止めればよいのか。極限状況での問いを、身をもって考え抜いた42歳の哲学者がいた。亡くなる直前までの2カ月間、生と死について思索した軌跡がのこされていた。 人生の不確かさ 福岡大学准教授だった宮野真生子さん。7月、42歳で亡くなった。8年前に乳がんが見つかり、研究生活のかたわら治療を続けてきた。だが昨秋、主治医に「急に具合が悪くなるかもしれない」と病状の悪化を告げられた。 宮野さんの専門は、『偶然性の問題』という主著がある哲学者・九鬼周造(1888~1941)の哲学だった。宮野さんは、出会いや恋愛、家族や性といった身近な題材も扱い、「偶然性」の問題を考えてきた。 主治医の「宣告」は、自らの人生の不確かさに改めて直面する出来事だった。 告知と同じころに出会ったのが、磯野真穂さん(43)だ。国際医療福祉大大学院准教授で、専門は医療人類学。人はなぜ、どのように生きるのか。生きるとはどういうことなのか――。分野は違うが互いの関心が近く、手紙を交わして本にする企画が浮上した。 「死んでも悔いなく」に感じた欺瞞 手紙はメールで交わされた。1通目は、磯野さんからの4月27日付。急変の可能性を告げられた体験とその受け止めについて尋ねた。宮野さんは2日後、最初の返信をした。 「『いつ死んでも悔いがないように』という言葉に欺瞞(ぎまん)を感じる」 「死という行き先が確実だからといって、その未来だけから今を照らすようなやり方は、そのつどに変化する可能性を見落とし、未来をまるっと見ることの大切さを忘れてしまう」 死に対する通俗的な見方に違和感を示した宮野さん。磯野さんは、医療現場での長年のフィールドワークの経験から応じる。たくさんのリスクを一つ一つ説明する医療者の話を聞いた患者は、自分の人生とは関係のない第三者の予測のなかで可能性が狭められてしまう構図がある、と。 宮野さんは5月4日付の手紙で、自らの病院を回った体験を紹介した。「正しい情報に基づく、患者さんの意思を尊重した支援」によって、「選ぶの大変、決めるの疲れる」という心境を明かしている。 たどりついた結論 手紙を交わす間に、宮野さんの… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
13年ぶり 高知県警の男性警官4人が育休取得へ
働き方改革が進むなか、高知県警では今年度、県警本部や警察署勤務の4人の男性警察官が育児休業を取得する。男性の育休は13年ぶり。 高知南署地域課の吉門亨健(こうけん)巡査長(39)は、12月末に次男が誕生予定で、来年2月から1カ月ほど育休を取得する。吉門巡査長が所属する自動車警ら班は、24時間3交代勤務。緊急時の場合に不安があったという。 秋の個人面談で上司から育休を勧められた。吉門巡査長は「自分が率先して育休を取ることで、同僚や後輩にも広がれば」と話す。 警務課によると、2006年に高知南署の男性巡査長が育休を取得。だが、勤務の特殊性や幹部の認識不足のため、取得が進まなかったという。警務課の筒井茂智次長は「家庭があってこその警察官。制度が形骸化しないように、幹部が積極的に後押ししていきたい」と話す。(湯川うらら) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「建設的な国会審議の敵」 国民・森裕子参院議員を突き上げる維新(産経新聞)
日本維新の会が国民民主党の森裕子参院議員を厳しく追及している。森氏は民間有識者の住所をホームページで公開し、プライバシーを侵害したとして、11月19日に除名などの懲罰を検討するよう山東昭子参院議長に申し入れた。森氏が所属する国民の玉木雄一郎代表は謝罪したが、維新は戦う姿勢を崩さない。 ■個人住所を漏洩 「国民の権利を守るべき立場にある国会議員が、逆に権利の侵害をしている。私たちも何かしない訳にはいかない」 維新の浅田均政調会長は記者会見で、森氏の懲罰を求める理由をこう強調した。 維新がとりわけ問題視するのは、森氏が11月7日の参院農林水産委員会で質問する際、政府の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)の座長代理、原英史氏の自宅住所が記された参考資料を提出し、質問後に自身のホームページで公開したことだ。 森氏は原氏の指摘を受けて住所を黒塗りして再掲載したが、維新は申し入れ書で「個人情報漏洩(ろうえい)、プライバシー侵害にほかならない」と指弾。東徹参院国対委員長は19日の記者会見で、「自宅住所は個人情報の最たるもので、(原氏が)迷惑を受けたとも聞いている。絶対に許されない」と断じた。 この問題をめぐっては、11月14日の参院議院運営委員会理事会で、森氏と同じ国民の川合孝典理事が「今後このようなことがないようにしたい」と謝罪し、再発防止を約束した。玉木氏も20日の記者会見で「個人情報が出てしまったことは申し訳ない。党全体としても、今後こういうことがないよう気をつけたい」と平謝りに徹した。 原氏は自身のツイッターで、玉木氏の姿勢を「誠意ある謝罪と受け止めた」と強調。ただ「森議員ご本人から私に対し、いまだに謝罪も説明もないことは全く理解できません」とも書き込み、森氏の無責任な対応を批判している。 維新の指摘はこれだけでない。 森氏は10月15日の参院予算委員会で、原氏がWGに絡んで不正を犯したかのように批判し「国家公務員だったら、斡旋(あっせん)利得収賄で刑罰を受ける」と言い放った。森氏は、一部の報道を根拠にしたようだが、原氏は明確に否定している。 維新は申入書で、森氏が「十分な事実関係の調査もなしに根拠のない誹謗(ひぼう)中傷を行い、不正に関与したかのような印象を形成したことは許されるべきではない」と厳しく指摘した。 憲法51条では、国会議員が国会内で語った言葉は国会の外で責任を問われないと規定している。しかし維新は申入書で、51条にかかわらず「誤った報道に安易に依拠した名誉毀損(きそん)など、国会議員による不当な人権侵害は許されるべきではない」と指摘。「こうした国会内でのあるまじき行為は、国民の政治、立法府に対する信頼を著しく失墜させるもので言語道断だ」と断罪もした。 維新は森氏の問題行動を次々と追及しているが、以前から不信感はあったようだ。東氏は「これまでも本会議などで時間を超過して話をしたり、牛歩のようなことをするなど、これまでも目に余る行為があった」と指摘する。 建設的な国会審議を標榜する維新は、審議の遅延を狙う野党の国会戦術を嫌っている。今回は、日頃から国会でたまっていた不満のマグマが森氏の一連の問題で爆発したようだ。 ■質問通告を改革 一方で、維新は問題を森氏の追及のみで終わらせるのでなく、質問通告のあり方そのものも変える取り組みを始めている。 その一環が、質問通告を、質疑時間の前日正午までに終えるという独自のルール設定だ。これまで与野党の申し合わせでは、質問通告は「前々日正午まで」と決めていたが、森氏のケースのように事実上形骸化していた。 前日正午までに質問を通告すれば、官僚が日中に答弁作成に着手でき、「午前さま」などいう長時間残業の緩和にもつながる。国会対応での官僚の「ブラック労働」はかねて指摘された問題だ。維新は今回の独自ルールを「森氏がきっかけだ」(遠藤敬国対委員長)と説明する。 森氏は今のところ維新の追及に反応していないようだ。普段は激しく与党を追及するが、自身の政治姿勢に突きつけられた疑問は素通りするのだろうか。(政治部 中村智隆) Source : 国内 – Yahoo!ニュース
真珠湾攻撃から78年。太平洋戦争が始まったあの日、現地で何が起きていたのか(ハフポスト日本版)
1941年12月7日午前7時55分(日本時間8日午前3時35分)。日本軍による真珠湾攻撃で、アメリカ海軍基地から白煙が立ち上った。(浜田理央 / ハフポスト日本版) 【画像】現存する資料写真 太平洋戦争の開戦の火蓋を切ったあの日から、きょう12月8日で78年目を迎えた。 当時、現地では何が起きていたのか。現存する資料写真とともに振り返る。 最初の攻撃対象とされているのは、真珠湾内にあるフォード島基地や、オアフ島本島のヒッカム飛行場。日本軍の航空部隊が奇襲で爆弾を投下すると、爆発・炎上し、白煙が立ち上った。 その後、太平洋艦隊が誇る「カリフォルニア」「ウェストバージニア」「オクラホマ」そして「アリゾナ」といった戦艦、駆逐艦「ショー」も標的となった。 日本軍機が投下した爆弾や魚雷によって爆撃され、辺りはまたたく間に黒煙に包まれた。犠牲者はアメリカ側の約2400人に対し、日本側は約60人だったという。 真珠湾攻撃に向けて、日本軍は入念な準備をしていた。主要基地である真珠湾を攻撃することで、アメリカ人の戦意を喪失させ、短期決戦を狙っていた。後に真珠湾攻撃で撃墜された日本軍機からは、アメリカ軍の戦艦の配置を示した図も見つかっている。 奇襲により、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または行動不能とする戦果を挙げた。だが、その後に引き上げられた「ウェストバージニア」を始め、6隻が戦列に復帰。空母3隻はハワイを離れていたため無傷で、決定的なダメージを与えることはできなかった。 開戦通告が遅れて「騙し討ち」となった真珠湾攻撃は、アメリカの士気を高める結果となった。アメリカ政府は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」とスローガンを掲げ、開戦ムードへと傾いた。 そして真珠湾攻撃の翌日8日。フランクリン・ルーズベルト大統領は日本への宣言布告の署名をし、ここから3年9カ月に及ぶ太平洋戦争に本突入して行った。 浜田理央 / ハフポスト日本版 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
8日 北海道は真冬並み 関東から九州は平年並みに(tenki.jp)
北海道は寒気の影響で、昼頃にかけて雪でふぶく所があり、真冬の寒さが続く。関東から九州にかけては、太平洋側を中心に晴れて、きのうの寒さから脱け出る。 北海道、東北 寒さが続く 西高東低の冬型の気圧配置が続きます。寒気の影響も残るでしょう。北海道と東北の日本海側は、昼頃にかけて雪が降りやすい見込みです。東北の雪の降り方は弱まってきていますが、北海道は昼過ぎにかけて積雪が増えそうです。また、西よりの風が強めに吹きますので、沿岸は波の高い状態が続くでしょう。陸上でも、降る雪や降り積もった雪が、強い風にあおられて吹雪きになることがある見込みです。車でお出かけの方は、道路状況の変化にくれぐれも、ご注意ください。最高気温は、北海道内は、多くの所で0度未満の、真冬日になるでしょう。きのうはプラスの気温になった所でも、きょうは凍てつく寒さが予想されます。東北も、きのうと同じか低いところが多いでしょう。北部では5度未満の所が多くなりそうです。 関東から九州 太平洋側ほど晴れ 日本海側も次第に回復 関東から九州では、大陸の高気圧が移動性になって進んできて、次第に緩やかに覆われてくる見込みです。このため、太平洋側では午前中に雲の広がる所がありますが、午後になるほどよく晴れて、空気の乾燥する所が多いでしょう。また、午前中は関東や九州で霧がかかる所がありますが、こちらも次第に晴れてくるでしょう。日本海側の天気も、ゆっくり回復するでしょう。北陸では、午前中雪や雨、近畿北部では午前中雨が降りますが、午後は晴れ間が戻ってくる見込みです。山陰では昼前から夕方にかけて、局地的に雨が降ることがある見込みです。最高気温は、北陸や長野北部で、きのうと同じくらいですが、多くの所できのうより高くなるでしょう。きのうは10度に届かなかった東京や名古屋、大阪でも、きょうは超えそうです。日なたではホッとできるでしょう。ただ、これで平年並みです。日かげはひんやりとするでしょう。 沖縄、奄美 強風と高波に注意を 沖縄や奄美地方は、高気圧から吹いてくる北または北東の風が強い見込みです。海上は、うねりを伴った波が高い状態が続くでしょう。高気圧の中心から離れるため、晴れ間はありますが、雲が広がりやすい見込みです。日中の最高気温は、きのうは17~18度まで下がって、南国といえども寒いくらいでしたが、きょうは20度前後の所が多いでしょう。ただ、これでも平年より2度くらい低めです。気温は上向きますが、風の寒さを感じる一日になりそうです。 冬ばれの東京から富士山が見えます けさは、青空でスタートした東京から白い雪をまとった富士山が、朝の太陽に輝く様子が見えました。富士山のけさ7時までの最低気温はマイナス14.3度。穏やかそうに見えますが、風速20メートル前後の強風が吹いています。 日本気象協会 本社 高橋 則雄 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース