岡山県赤磐市で必要のない臨時職員を雇い、計76万円の賃金を支払い市に損害を与えたとして、岡山県警は30日、背任の疑いで元市教育委員会教育次長の市職員藤井和彦容疑者(54)=岡山市中区中島=を逮捕した。 逮捕容疑は教育次長だった昨年6月中旬ごろ、市教委の職員2人と共謀し、業務に従事させるつもりはなかったのに給食配送の予備運転手として70代男性を雇い、同月~今年3月、男性の口座に計76万円を振り込んだ疑い。男性は全く業務をしていなかった。 市教委によると、賃金は既に全額返還されている。 県警は認否を明らかにしていない。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
特撮監督の矢島信男さん死去 「秘密戦隊ゴレンジャー」
特撮監督の矢島信男(やじま・のぶお)さんが28日、老衰で死去した。91歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は長男将人さん。 松竹、東映を経て、65年に特撮研究所を設立。「ジャイアントロボ」「スペクトルマン」「人造人間キカイダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」といったテレビ番組のほか、深作欣二監督の映画「宇宙からのメッセージ」「里見八犬伝」などを手がけた。 長年にわたる特撮技術への貢献から、06年に文化庁映画賞映画功労表彰、11年に日本アカデミー賞協会特別賞を受賞した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
夫の暴言と暴力なくせる? 追い詰めずに話し合う方法は
(悩みのるつぼ) 相談者 20代女性です。私の夫はキレると手がつけられない人です。2週間に1回くらいは爆発しています。 普段は落ち着きがあり、家事も育児もよくします。ただキレると人が変わったようになります。けんかのきっかけは、何かがつけっぱなしだったとか、お互いの些細(ささい)なことです。 爆発をすると、のろま、頭の回転が遅い、クズ人間、馬鹿、母親失格など、屈辱的なことを怒鳴りまくります。あるいは私の親や学歴のこと、私が思ってもいない「私」の考えを勝手に定義づけて侮辱します。暴力がひどくなることもあります。 暴力が始まったのは、昔私がビンタをしたのがきっかけだったということもあり、後ろめたさがありました。セラピーの助けがあって、ようやくもうそんなことはしない、と思えるようになりました。 私としては、もう暴力・暴言抜きでけんかまたは話し合いをしたいのです。そう言うと、優しくなりますが、少したつと爆発を繰り返します。そこまで怒らせる私が悪いのだそうです。 どうすれば彼の暴力や暴言をなくせますか。あるいは、「けんか」になりそうなとき、私が彼を追い詰めずに話し合う方法はないのでしょうか。 けんかばかりしている両親のもとに生まれた子どもに心底申し訳なく思っています。ご助言のほどお願いいたします。 回答者 文筆業・清田隆之さん 相談文では、落ち着きがあって家事もよくする夫=普段の姿で、キレると手がつけられなくなる夫は“例外”という位置づけになっています。 彼の行いは目に余る酷(ひど)さです。それが頻繁にくり返されている状況の恐怖や苦しみたるや想像を絶します。もっと夫を責めるような書き方でも不思議ではないのに、「お互いの些細なこと」や「彼を追い詰めずに」とあり、夫がキレるのは自分にも責任があると考えているようです。 そんな中、どうにか夫を刺激せず、建設的な話し合いができるようなコミュニケーション方法はないかと模索している――。これが相談者さんの現在地だと思います。 暴行や暴言、侮辱や人格否定な… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ポスター不要、あだ名も1票? 最小の村議選が半端ない
全国でもっとも少ない定数5を争う村議会議員選挙が、和歌山県北山村で行われている。候補者6人で有権者は387人。ほとんどの住民が顔見知りで、1票をとても大事にしている。11月26日告示で、投開票は12月1日。 村役場が面する「メイン通り」の国道169号に、選挙カーの姿は見当たらない。村内17カ所の選挙掲示板には6人のポスターが貼られているが、顔写真入りは2人だけで、他は名前だけを記している。「みんな知り合いだから」。候補者の一人は、そう説明する。 候補者は新顔3人、現職3人で、50~70代の男性だ。ある候補者は、地元の地区を軽トラックであいさつ回りを続ける。「票は親戚や日ごろの付き合いで決まる。(ポスターや選挙カーは)金の無駄遣いや」 村観光協会の河野貴則さん(32)は昨年春、地方暮らしにあこがれ、東京都中野区から移り住んだ。人口33万人の中野区では、区議会の定数は42。区議と面識はなく、訴えていることや実績もわからない。区議選の投票先は「何となく政党名で選んだ」という。 北山村では驚きの連続だ。候補… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大丸梅田店「生理バッジ」、継続するも現行のデザインは取りやめに 広報担当者に聞く“取り組みの今後”(ねとらぼ)
大丸梅田店が10月中旬から試験実施した「生理バッジ」が、大きな話題となっています。 【画像】生理バッジの取りやめになるデザイン 11月22日にオープンした女性向けフロア「michi kake(ミチカケ)」のコンセプトから生まれた生理バッジ。スタッフが生理(月経)中であることを示せる胸元に付けるプレートで、スタッフ同士で気遣いや察しといったコミュニケーションを行うことを目的としていたといいます。 21日に生理バッジの取り組みが報じられると、ネットでは「プライバシーの侵害ではないか」「従業員がセクハラを受けるのでは」「客が商品を購入するのに必要のない情報」などさまざまな批判が寄せられました。大丸梅田店は、生理バッジについて現在使用しているデザインを取りやめる方針を示しました。 生理バッジはどういったことを目指し、どのように生まれたのか。また、今後はどのように運用していくのか。大丸梅田店の広報担当者に取材しました。 「社内コミュニケーション」を目指して生まれた生理バッジ ――あらためて、michi kakeのコンセプトを教えてください。 月の満ち欠けのように、女性のリズムに寄り添うことを目指した売り場です。コスメ、洋服、雑貨だけではなく、百貨店ではこれまで取り扱いのなかったような性や生理アイテムを取りそろえています。セミナーやトークセッションを定期的に行うことも予定しています。 ――この売り場から始まった取り組みで、「生理バッジ」が議論を呼びました。このアイデアはどのように生まれたのでしょうか。 女性を取り巻く環境が変わる中で、michi kakeのフロアのコンセプトが生まれたのですが、そのフロアのある大丸梅田店の5階には500人ほどの女性スタッフが働いています。お客さまに向けてだけでなく、販売員の働く環境に対しても何かできることがないか――と出てきたのが生理バッジのアイデアです。 ゾーン自体が生理用品を扱うものでしたので、さまざまな話し合いで生理についての話が上がりました。生理のつらさは男性にはわかりにくいですし、女性間でも違いがあります。そこで、社員間のコミュニケーションとして、わかるようなサインがあってもいいのでは……という話になっていき、生理バッジという形で試験導入をすることになりました。11月22日のmichi kakeフロアのオープンに先駆け、10月中旬ごろから5階フロアで試験的に導入を始めていました。趣旨に賛同したメンバーのみが着用しています。 ――生理バッジがネット上で話題になったのは、11月22日のフロアオープンの際、生理バッジの取り組みが行われているといった発言があったからでした。10月中旬からというと、実際約1カ月ほど生理バッジの運用が行われていたんですね。スタッフからはどういった声が上がっていましたか? 普段「生理がつらい」と言い出しにくいメンバーがいたときに、バッジがあることで「多めに休憩とっていいよ」と声をかけたり、重いものの持ち運びが多い仕事の場合、「ちょっと持とうか」という気を使うことができたり――といったことができた、という声は上がっています。 男性社員はバッジを着けてはいませんが、着けている女性社員に対して「どう声をかけていいのか考えるようになった」という反応を聞きました。現場ではその反応を聞いて、「私は声をかけてくれなくていい」「私は『大丈夫?』と言ってもらえるとうれしい」というコミュニケーションも生まれているそうです。 ――私自身、会社で体調不良の話をしたことはあっても、「生理」という言葉を出して話したことはないかもしれません。 これまでそういう会話自体なかったですし、生理の体調不良が人それぞれということも会社での話題に出てこなかったと思います。「生理」という言葉を女性社員も男性社員もフラットに言えるようになったのは大きな一歩ですし、あらためてみんなで考えるきっかけにはなっていると考えています。 ――生理バッジのデザインはどのように決まったのでしょうか。 michi kakeは、小山健さんの漫画「生理ちゃん」とコラボをしています。そこから、フロアオープン時に、フロアのオープンをアピールする面と、「生理ちゃん」とコラボをしていることを示す、リバーシブルの胸ビラ(胸章)を作ることを決めていました。胸ビラ自体はキャンペーンや季節セールなどのさまざまなアピールに使われているものです。今回は先に「生理ちゃんとのコラボ」としての胸ビラデザインがあり、後から「この面を生理バッジとして運用しよう」ということになりました。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
秋篠宮さま54歳 台風被害、首里城火災にもご言及(産経新聞)
会見で秋篠宮さまは、台風15号や19号などによる豪雨災害や長期間の停電被害に触れ「災害にどのように対応するかというのは、今までも、そしてこれからも課題」と述べられた。具体例として中小河川の浸水想定区域図(ハザードマップ)を挙げ「まだできていないところが結構ある」「少しでも安全に避難できるようなことを考える必要がある」と指摘された。 10月末の首里城(那覇市)の火災についても言及された。今年3月、私的に沖縄県を訪問した際に首里城を視察したことをご回想。「沖縄の人々にとって心のよりどころになっていた場所」とし「非常に残念な気持ちになりました」と心情を明かされた。 明るい話題では、名誉総裁を務めたラグビーワールドカップ日本大会について「日本の代表の活躍というのは本当にすばらしかった」と喜ばれた。当初はラグビーの知識がなかったと明かされ「最初に見た時には、何が起こっているのかは全然実は分からなかった」とユーモアも。その後、観戦を重ね「理解しながら楽しみながら見ることができました」と話された。 特にご夫妻で9月に観戦された「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」(岩手県釜石市)でのフィジー対ウルグアイ戦について「津波で被害を受けた場所にあのような形でスタジアムが建てられて、そこに多くの人が集まったということも、非常に感動的なことでありました」と振り返られた。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
アントニオ猪木氏、中曽根康弘元首相を追悼…「世界を考えているのは、君と僕だね」と言われた秘話を明かす「心の宝になっています」(スポーツ報知)
元プロレスラーで前参院議員のアントニオ猪木氏(76)が29日、101歳で老衰のため亡くなった元首相の中曽根康弘氏が死去したことにコメントを発表した。 猪木氏は「最初にお会いしたのは、イラク人質解放から帰国した1990年」と湾岸戦争中のイラクで、サダム・フセイン大統領政権下で同国を訪問し人質となった邦人の人質解放に貢献した当時、中曽根氏から「イスラム社会の話をしてくれ」と事務所に呼ばれたことを振り返り「そして「世界を考えているのは、君と僕だね」と言われたのが心の宝になっています。心より、お悔やみを申し上げます」と追悼した。 報知新聞社 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
盟友渡辺恒雄氏「親の死と同様」中曽根元首相悼む(日刊スポーツ)
日本電信電話公社や国鉄などの民営化を行った中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前7時22分、老衰のため都内の病院で101歳の生涯を終えた。群馬県出身。「戦後政治の総決算」を掲げ戦後5位にあたる約5年間も首相を務めたが、戦後の新しいリーダー像を示し、スポーツ界や芸能界、メディアとの幅広い交遊関係でも知られる。敬愛した読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆(93)も「ショックです」と悼んだ。 【写真】85年4月、記者会見でパネルを使って市場開放策を説明する中曽根康弘首相 身長170センチ台後半、体重69キロ。1982年、田中角栄氏に続く大正生まれで首相に就任した中曽根氏は、当時戦後では最も長身の総理大臣で、ある意味“昭和の新人類”的イメージをまとっていた。濃い眉、渋い低音の声、頭髪は決して豊かではなかったが、背広のポケットには常にクシと手鏡を入れ、頻繁に自分で手入れしていた。83年の訪米では、ホワイトハウスで日本の首相として初めて英語でスピーチしてみせた。 自民党派閥全盛時代。弱小集団出身で変わり身の早さから「風見鶏」ともいわれながら、長期政権を維持した。ロッキード事件やリクルート事件、東京佐川急便など世間を騒がせた事件で名前が取りざたされた。85年には初の靖国神社公式参拝も実行した。一方で、国鉄、日本専売公社、日本電信電話公社の民営化など数々の政治的遺産を評価する声も多い。 したたかともいえる生き方の背景には、多趣味と多彩な人脈もあった。時間が空けば運動し、油絵を描き、週に1回は座禅を組んだ。スポーツや芸能好きでも知られた。首相就任当時の自宅は、東京・上北沢にある長嶋茂雄さん所有の7LDKの邸宅を家賃40万円で借りていた。首相官邸の庭では毎年2回「芸術・文化人との懇談会」を開いた。市川海老蔵の父・12代目市川団十郎さんの後援会名誉会長を務めたほか、劇団四季・浅利慶太さん、歌手・三波春夫さん、野球の金田正一さんら今は亡き大物たちとの交遊で知られる。 メディアとも特別な人脈を築いた。とりわけ親しかった渡辺恒雄氏は「親の死と同様のショックです」などとコメント。渡辺氏は記者が自宅に来ると、長時間の取材に応じることもあった。中曽根氏の番記者になりたての時の経験から来ているようだ。「ついしゃべっちゃうのも、苦しい思いをした昔を思い出すからな」など中曽根氏との昔話を披露することもあった。 中曽根氏は03年の引退後も、今夏までは都内の事務所に時折顔を出し、ときに切れのいいコメントも出していた。昔から俳句も熱心によんできたが、最も好んだという自作は次のようなものだった。「暮れてなほ 命の限り 蝉(せみ)しぐれ」。 ◆中曽根康弘(なかそね・やすひろ)1918年(大7)5月27日、群馬県高崎市生まれ。東大卒。45年海軍主計少佐で退役。47年4月、衆院初当選。55年の保守合同で自民党へ。59年6月、第2次岸内閣で初入閣。82年11月、首相に就任。97年4月に大勲位菊花大綬章を受章した。03年10月政界引退。当選20回。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
山下泰裕会長「来年の東京五輪を…」中曽根氏悼む(日刊スポーツ)
日本電信電話公社や国鉄などの民営化を行った中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前7時22分、老衰のため都内の病院で101歳の生涯を終えた。 【写真】85年8月15日、首相として戦後初めて靖国神社を公式参拝する中曽根康弘首相 日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長(63)が29日、中曽根康弘元首相を悼んだ。この日、故郷熊本で行われるハンドボール女子世界選手権(30日開幕)のアンバサダーとして熊本市内でレセプションパーティーに出席した同会長は「来年の東京五輪を見てもらいたかった」と、故人をしのんで話した。 84年ロサンゼルスオリンピック(五輪)無差別級で負傷しながら金メダルを獲得。国民栄誉賞を受賞した際には「やすひろ(康弘)からやすひろ(泰裕)へ、と言っていただいた」と懐かしんだ。当時はスポーツと言えば野球や大相撲、ゴルフなどプロスポーツが中心。五輪競技初の受賞に「柔道ではなく、アマスポーツの代表という気持ちだった」と話した。 柔道家が国民栄誉賞に輝いたことが、国民の五輪熱をさらに高めた。「あれからは、多くのオリンピック選手が受賞した。オリンピックスポーツへの国民の理解も深まった。そのきっかけを作っていただいた」と感謝の言葉を口にした。 国民栄誉賞受賞後は食事をともにするなどし「毛沢東が柔道の理念『押さば引け、引かば押せ』を実践したことなど、柔道についても詳しかった。ずっと柔道を学んできた私よりも」と振り返った。そんな元首相の「スポーツ愛」を知るからこそ「残念です」。日本スポーツ界のトップとして迎える来年の東京五輪を前にした訃報に「日本選手が活躍する姿を見ていただきたかった」と、寂しそうな表情で話していた。【荻島弘一】 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
秋篠宮さま54歳 悠仁さま「大人びた雰囲気」 佳子さま「ライフワークを」 ご成長に期待寄せられ(産経新聞)
30日に54歳の誕生日を迎えたのに先立ち、記者会見に臨まれた秋篠宮さま。会見では、陛下のご即位に伴い皇位継承順位2位となった長男の悠仁さま、次女の佳子さまの近況を明かし、今後のご成長に期待を寄せられた。この1年の出来事についても振り返り、台風など自然災害の被災者に心を寄せられた。 悠仁さまは4月にお茶の水女子大付属中学校にご進学。「少しばかり大人びた雰囲気になった」と成長ぶりを表現された。悠仁さまにとって初の海外ご訪問となった8月のブータン旅行では「いろいろなものを吸収しようという感じを示していて、そのことを私は大変うれしく思いながら見ておりました」と語られた。 悠仁さまが3年前から赤坂御用地内でトンボの生態調査をし、御用地内で未確認だった複数種を見つけられたエピソードもご紹介。秋篠宮さまは生物学に造詣が深く、悠仁さまの調査が御用地内の自然環境の変化を知る上で「大切なものになる」と評価された。 佳子さまは9月に初の外国公式訪問をご経験。秋篠宮さまは「本人にとって良い経験になった」と感想を述べられた。また、日々の務めに対し、事前の下調べを欠かさないなど「元々が真面目な性格」と明かし「一つ一つを大事にするという気持ちを持っていってほしい」と願われた。 その上で「ライフワークとして持てるもの」があると良いとご助言。結婚に関しては「まだ聞いておりません」と答えられた。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース