AIでもできる仕事だから報酬を安くして――。文章や画像を自動的に作り出す「生成AI」の登場を理由に、依頼主がフリーライターにこんな要求をするケースがあった。「仕事を奪う」とも言われる生成AIの登場は、フリーランスなどの働き手にどんな影響を及ぼすのだろうか。 「Chat GPTを使うから、報酬を半減して欲しい」。今年に入って取引先だったウェブ会社からメールでこんな要請を受けたのは、フリーランスのライターとして活動している40代の女性だ。 医療機関のウェブサイトに掲載する文章の執筆をこの会社から請け負っていた。メールはこれまで1文字あたり2円だった報酬を、1文字あたり1円にしてもらえないかという内容だった。 仕事は同じ、報酬は半減に「まさか」 「Chat GPTである程度文章が作成できるようになった」「あなたより安い値段で引き受けている人がいる」と、相手方は理由をあげたという。 ただ、女性が依頼された仕事… この記事は有料記事です。残り1357文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
70年大阪万博の太陽の塔 初代「黄金の顔」約30年ぶりお披露目
岡純太郎2023年8月10日 20時01分 1970年に開催された大阪万博のシンボル「太陽の塔」の頂に据えられていた初代の「黄金の顔」が、万博記念公園(大阪府吹田市)で11日から公開される。来場者に当時のにぎわいを伝えることで、2025年の大阪・関西万博に向けた機運を盛り上げるねらいだ。 万博公園内で新たに11日に開館する「EXPO’70パビリオン別館」の目玉として展示される。太陽の塔の外側には過去、現在、未来を表す三つの顔があり、「黄金の顔」は未来の象徴とされる。初代のものは直径10・6メートルで、1992年の改修工事で2代目に取り換えられて以来、約30年ぶりに公開される。 開館時間は午前10時~午後5時(入館は午後4時半まで)。水曜休館。11日から当面の間は混雑が見込まれるため、午前9時50分から同館近くで整理券を配布する。(岡純太郎) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
300匹のチョウ舞う「他にない」カフェ 愛好家が芦屋で夢かなえた
チョウが舞う様子を観察しながらドリンクを楽しめるカフェ「cafe&galleryてふてふ」が兵庫県芦屋市伊勢町に7月、オープンした。店内には約20平方メートルの年中温室のテラスが設けられ、ナミアゲハやキアゲハ、モンシロチョウなど約10種、最大300匹が飛び交う。 テラス席ではチョウが花の蜜を吸う様子や産卵する様子を間近で観察できる。チョウが客の肩に止まって羽を休めることも。普段はなかなか見かけることのない、サナギから羽化する場面に出会えることもあるという。 カフェをオープンしたのは西宮市在住の建築家で、チョウ愛好家の白木克典さん(58)。かつて社員寮として使われていた建物の一室を自身でリノベーションし、カフェと温室のテラスにつくりかえた。 テラスを舞うチョウは、白木… この記事は有料記事です。残り459文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
待ちに待った留学、襲う物価高 旅行は「ビジネスから埋まる」
夏真っ盛りのこの時期は、旅行や留学などで海外に向かう人が多いシーズンだ。だがこの夏は、円安や航空運賃の高騰で、さまざまな異変が起きている。「高額でも学生のうちに」と飛び立つ大学生がいる一方、一般旅行客は高所得者層をのぞき、様子見のようだ。(江戸川夏樹、植松佳香、編集委員・増谷文生) 「これまで我慢していた学生たちが、コロナが落ち着いて一気に長期留学に踏み切っている。渡航費が高騰しても、何とか工面しているようだ」 東京外国語大の篠原琢副学長(教育担当)はそう話す。同大では今夏、長期(おおむね5カ月以上)で海外留学に行く学生が、過去最多の279人となった。 一方、通常は1年生が行くことが多い短期留学は、今夏は2、3年生が多いのが特徴。篠原副学長は「留学を希望する学生が多いのに実現できず、フラストレーションがたまっていた。航空運賃や滞在費の高騰は続いているが、家族も積極的に後押ししているようだ」と話す。 異変は昭和女子大(東京)にも出ている。同大は2021年度の卒業生まで、卒業生が1千人以上いる全国の女子大で「実就職率」(進学者を除く卒業生の就職率)が12年連続1位だった。だが、今年は国際学部で卒業後すぐに就職せず、長期留学する学生が続出。このため、今年3月の卒業生の実就職率は3位となったという。同大広報部は「カリキュラムに海外留学が組み込まれた学部のため、コロナ禍で渡航できず苦しんでいた学生が多い。中長期のキャリアを考えて留学を優先した卒業生たちに、エールを送りたい」とする。 日本から海外への航空運賃は、ロシアによるウクライナ侵攻を受けたエネルギー価格の高騰などにより、コロナ禍前の19年と比べて多くの路線で値上がりしている。各航空会社によると、2~4割上がっているという。 円安も進んだ。コロナ禍前の19年8月は1ドル=106円程度だったが、現在は143円。円の価値は4分の3程度に下がったことになる。 留学あっせんも行う専門雑誌「留学ジャーナル」によると、日本の大学の海外留学はコロナ禍で中断していたが、昨年から徐々に再開。今年度は7割超の大学が実施する。広報担当の石沢京子さんは「もともと『高い買い物』である留学に子どもを送り出す家庭は、渡航費が高くても頑張って送り出す。一方で余裕のない家庭では断念するケースもあり、二極化が起きている」と話す。 「出稼ぎ留学」の言葉も 石沢さんによると、「出稼ぎ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
スーパー「オーケー」値引き分の補塡要求取りやめ 公取委、調査終了
商品値下げにかかる費用を納入業者に負担させていた行為に独占禁止法違反(優越的地位の乱用)のおそれがあったとして、首都圏を中心に展開するスーパー「オーケー」が改善策を実行したと、公正取引委員会が10日発表した。公取委は同社について調査していたが、違反のおそれがなくなったと判断し、調査を終了した。 オーケーは食品など一部商品について、競合店の価格が安かった場合、同じ金額まで値引きをするサービスを行っている。公取委によると、オーケーはこの際の値引き分の一部について、約30社の取引業者に補塡(ほてん)させていたという。 原材料価格の高騰を受けた価格転嫁の状況を調査していた公取委は、情報収集の過程でオーケーの行為を把握。独禁法が禁じる優越的地位の乱用にあたる可能性があるとして、オーケーに関連資料の提出を求めていた。 同社はこれを受け、納入業者に補塡を求める行為を今後行わないことを決定。7月下旬に納入業者に通知文を送った。公取委も独禁法違反の懸念がなくなったと判断し、これ以上の調査を行わないことを決めた。 調査を打ち切った事案につい… この記事は有料記事です。残り271文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ウナギ産地じゃないから仕入れを工夫 ネットで人気の美味なかば焼き
カンサイのカイシャ ここがオモロイ! インターネットの通販サイトで人気のウナギのかば焼きを作る会社が、和歌山県有田市にあります。ウナギといえば静岡や鹿児島が有名ですが、和歌山も産地だったの? いえ、そうではありません。産地ではないからこその工夫でおいしいかば焼きを作り、会社は成長してきました。 養殖業者増えた末に 実はあったのだ、和歌山にも養鰻(ようまん)のブームが。人気のかば焼きをつくる川口水産の川口博司専務(46)は、先代たちからそんな話を聞いていた。 1970年代後半、先代社長である父・順弘さんはその波に乗って養殖場を造った。有田市周辺にも数十軒の養鰻業者がいたという。だが、市場は飽和状態になり、ブームもあっという間に過ぎた。先代も数年で養鰻をやめ、何かウナギに関わる事業ができないかと始めたのが、「かば焼き」だった。 博司さんによれば、周辺でかば焼きに転向したのは先代ぐらいという。その先代が取り組んだ仕入れの工夫が今につながっている。 「もし静岡でつくるかば焼き… この記事は有料記事です。残り1087文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 #KANSAI 近畿の魅力を再発見する新企画。社会・経済から文化・スポーツまで、地元愛あふれるコンテンツをお届けします。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
取材断られ…記者は町に住み込んだ 米記録映画で論争、漁師たちの今
和歌山県太地町で続くクジラやイルカの追い込み漁。ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」で批判的に描かれ、論争の的になりました。漁師たちはどんな人たちなのか。日々何を考えているのか。漁師たちのいまを伝えます。 午前6時すぎ。冬の朝はまだ暗い。 わずかに光を放っているのは街灯と自動販売機だけ。空には星がまばらに輝いている。 軽トラックが1台、また1台と漁港に入ってくる。 ここは紀伊半島南部、和歌山県太地町(たいじちょう)。 長靴をはいた男たちが軽トラックから降りて、漁港の一角に集まりはじめた。小型のクジラやイルカを湾に追い込んでとらえる「追い込み漁」の漁師たちだ。 ベンチがコの字形にならぶ。そのまん中にドラム缶が置かれている。彼らはここを「浜」と呼ぶ。毎朝の集合場所だ。 最初に来た漁師がドラム缶に廃材や段ボールを詰め、ライターで火をつける。燃えひろがって、ドラム缶いっぱいのたき火になる。 50代半ばのこの漁師は毎朝一番早く浜に来る。 「ほかの人が来たときに火がついたぁったらうれしいやろ」 いつもニコニコしているこの人が、漁師のなかで何となくたき火係になっている。 手元の温度計で7・1度。1月早朝の海辺の空気は冷たい。漁師たちはたき火に背を向けて立ったり、ベンチに腰かけて火に手をかざしたりしている。 「山芋掘りに行ったらよ、帰るころには腕がかいくなってきてな」 「しめサバはあたることあるねえ」 この日の話題はこんなものだ。 ほかにも、前日にとれた魚をこんなふうに料理して食べただとか、たわいのない話をしている。 クジラやイルカの追い込み漁は都道府県知事による許可制の漁業だ。正式名称は「鯨類追込網漁業」という。 太地町では和歌山県知事から許可を得た12人の「親方」が1隻ずつ船を持っていて、12隻で船団を組んでクジラやイルカを追い込む。 親方1人につき、補助的な役割をする「乗組員」が1人ずつつくから定員は24人。 9月から翌年4月にかけての漁期の間、24人の定員で構成されるのが「太地いさな組合」だ。鯨魚(いさな)は万葉集にも登場する古い言葉でクジラを意味する。いまは乗組員4人が欠員で、20人だ。 クジラとイルカは同じ鯨類の仲間で、生物学的に明確な違いはない。体が小さな種を「イルカ」と呼ぶが、その線引きはあいまいだ。漁師たちも「クジラ」と呼ぶときもあれば「イルカ」と言うときもある。 漁師たちの集合場所になっている浜のとなりに船着き場がある。船が12隻ならんで停泊している。どれも10トン未満と小型だ。 乗組員は一足先に浜を離れ、それぞれの船で出航準備をしている。 空が白みはじめた午前7時まえ、親方も船に乗り込んで12隻が沖へ向かう。 「HUNTERS ARE HEADING OUT TO SEA(ハンターが海へ出ていく)」 船が港を出て数十分後、漁に反対する団体のSNSにこんな文言が投稿された。 ドキュメンタリー映画の舞台に 紀伊半島は太平洋に大きく突きでている。近くをクジラが回遊する。太地町はその恩恵を受けてきた。 江戸時代はクジラにもりを突きたてる「古式捕鯨」で栄え、明治に入って古式捕鯨がすたれたあとも、漁法や場所をかえながら捕鯨をつづけてきた「クジラの町」だ。今年7月時点で2641人が住んでいる。 紀伊半島の片隅にあるこの小さな町が、1本の映画によって世界的に有名になった。2009年に公開された米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」。太地の追い込み漁を批判的に描き、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。 映画は、漁師たちがイルカの群れを入り江に追い込んで捕殺する場面を映し出した。アカデミー賞受賞後の記者会見で、ルイ・シホヨス監督は「日本人はこの映画を見て、食べる肉のためや娯楽のために動物を利用するべきなのかどうか、自分で判断してほしい」と語った。 追い込み漁や漁師たちは論争の的になった。漁に反対する人たちが海外から町に押しよせ、漁師たちに抗議した。 そもそもクジラやイルカの追い込み漁はどんな位置づけにあるのだろう。 国際捕鯨委員会(IWC)による資源管理の対象はナガスクジラなどの大型鯨類だ。日本近海の「いるか漁業」は国際的な規制の対象ではなく、都道府県知事の許可制になっている。8道県が許可を出している。 追い込み漁の許可が出ているのは和歌山と静岡の2県。静岡は04年を最後に捕獲実績がなく、実態として追い込み漁があるのは太地だけだ。 朝日新聞和歌山総局で記者をしている私がはじめてここで追い込み漁を見たのは、21年の秋だった。とある取材先から、町での反対運動の主体がこのごろは外国人ではなく日本人になっていると聞き、興味を持った。 はじめて訪れた太地は、のどかな漁師町だった。漁師たちはのんびりした足どりで船に乗り込んでいく。この人たちが映画の題材になり、それがアカデミー賞をとる。目の前にある日常と、世間で語られていることが、どうにもかみ合わない。 町で追い込み漁に抗議するプラカードをかかげている人たちに話しかけてみた。みな、自分がなぜ漁に反対するのかを熱心に語ってくれた。 一方の漁師たちは、どんな人たちなのだろう。日々何を考えているのだろう。 太地町漁業協同組合に取材を申し込んだが断られた。漁期の間、何度か町に来て漁師に話しかけるチャンスをうかがったが、彼らの世界に土足で踏み込んでいくように感じられて気が引けた。 追い込み漁にまつわる本を手にとり、ドキュメンタリーも見た。議論の争点や町の歴史を描くものが大半で、漁師たちの日常や考えはほとんど見えてこなかった。 世界的な論争のなかで、20人はベールに包まれているようだった。 映画やSNSには映りきらない彼らの姿を知りたいと思った。 翌22年の春、私は町内に一軒家を借りた。漁師たち本人に話を聞き、それを輪郭だけでも理解するには、ここで生活するしかないと思った。 それから約5カ月。漁期が始まる9月の直前、漁師たちに取材を申し込んだ。 「俺らは情報発信ができへんから」「何にも隠してないで」。取材を受けてくれることになった。 翌春まで、22年度漁期のほとんどを太地で過ごした。 私が見た漁師のいまを伝える。(国方萌乃) この記事は連載「クジラのまち、その後」(全10回)の初回です。 初回のおわりでは、太地町のクジラ漁の歴史を紹介します。 […]
ロッキンが再びひたち海浜公園に 来年は茨城と千葉での2回開催へ
張守男2023年8月10日 14時39分 茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園で長年開かれ、昨夏から千葉市に会場を移した国内最大級の野外音楽フェス「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル(通称ロッキン)」が、来年は同公園でも開かれることになった。ロッキン事務局が10日、発表した。 来年は8月に千葉市の蘇我スポーツ公園で5日間、9月に茨城で5日間の2回開催になる。再来年以降の開催場所は未定だという。来年で25周年になる節目に合わせて、ゆかりの深い茨城・ひたちなかでの開催を決断した。 ロッキンは2000年、先行した洋楽中心のフジロックフェスティバルに対し、邦楽のフェスとして始まり、毎年夏に国営ひたち海浜公園で開催を続けてきた。20回目を迎えた19年は5日間で計約33万7千人を動員した。だが、20年は新型コロナの感染が拡大して中止に。21年は来場者の制限などの感染対策をとって開催予定だったが、茨城県医師会の要請を受けて開催1カ月ほど前に中止を発表した。 22年1月に千葉市での開催を発表。渋谷陽一・総合プロデューサーの声明をホームページで公表した。海浜公園の構造上、参加者の移動に伴う密集が避けられず、万全の感染対策は困難と判断したと説明し、「25周年、30周年といった年でのひたちなか開催を模索したい」としていた。(張守男) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あなたが幸せなら私も幸せ 高潔な人々の国のほっこりオクラシチュー
ブルキナファソと聞いて、どこにあるか思い浮かびますか? アフリカ最大級の綿花生産国で、日本にも輸入されています。エミール・イルブードさんは来日して30年近くになります。「食」を通して、母国ブルキナファソの良さを知ってもらいたい、とキッチンカーで笑顔を届けています。母国の文化や食について伺いました。 料理人歴は長いですが、キッチンカーを始めたのは10年近く前です。東京・品川駅周辺や川崎市などで営業しています。母国や西アフリカを料理を通して紹介できますし、色々な人に会えて、色々な場所に行けるこの仕事が好き。店の名前「FOFO」は西アフリカの言葉で「歓迎」という意味なんです。 西アフリカでは、トウモロコシや雑穀の粉を水で溶いて固めたサグボやコメと、シチューを合わせたメニューは一般的です。 トマトや甘くないピーナツソースを使ったシチューもよく食べますが、私の母国ブルキナファソではオクラのシチューも代表的なメニューです。毎日のように昼や夜に家族で食べていました。オクラシチューとサグボの組み合わせを、現地のモシ語ではサグボ・ネ・マーデといいます。 たっぷりのオクラをコンソメなどで煮込みます。オクラをミキサーなどでつぶさず薄い輪切りにして使うのが、オクラの味を生かしたおいしさのコツです。 オクラは家の畑で育てます。肉は牛、羊、豚、鶏なども使いますが、人が集まるときでなければ貴重な牛は殺しません。内陸国なので魚も手に入りにくい。キッチンカーでは、肉や魚とともに煮込んでいますが、故郷ではオクラだけのシチューも珍しくありません。 今回、一緒に用意したムイ・コロゴ(スンバラライス)もよく食べます。アフリカの納豆とも言われる発酵させた豆「スンバラ」の酸味がさわやか。トマトペーストとともにコメを炊き込むもので、肉や野菜とよく合います。 パンダ豆に似た豆とごはんを一緒に炊いたムイ・ネ・ベンガ(豆ごはん)は、ほっくりした塩味の豆が素朴な「母の味」。私が小さいころ、お母さんが出かけるときによく作り置きをしてくれました。兄弟と鍋に手を突っ込んでむしゃむしゃ食べていました。炒めた野菜や肉を添え、唐辛子みそをつけてもおいしいです。 日本では珍しいバオバブの実で作ったジュースも、グアバと似て甘酸っぱくておいしい。ハイビスカスジュースもよく飲みます。 ブルキナファソは1960年に独立を宣言し、84年には現地の言葉で「高潔な人々の国」を意味する国名になりました。私が育ったのは首都ワガドゥグから25キロほどの郊外。日本に来る前は、隣国コートジボワールのホテルなどで働いた後、同国政府主催の食事会を担当する料理チームの班長なども務めました。 最初から料理人を目指していたわけではありませんでしたが、母の強いすすめと、幼い頃の旅行で見たシェフへのあこがれで料理の道に入りました。 私の祖父は、建築の世界で成功し、フランスにもビルを建てました。父も軍の要職についていたので、経済的にはブルキナファソのなかでは恵まれていたと思います。 その祖父がよく言っていた言葉があります。 「努力して人に尽くしなさい」「自分だけでなく、みんなが幸せになることが大事」 ブルキナファソは内陸国なの… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大竹しのぶさんが語る美談の「不都合な真実」 50年不変の本質とは
作家・有吉佐和子(1931~84年)の戯曲「ふるあめりかに袖はぬらさじ」が、新橋演舞場(東京都中央区銀座6丁目)で9月2日から上演される。72年に初演され、杉村春子、坂東玉三郎らが主演を務めるなど、繰り返し上演されてきた名作だ。今回、主演を務めるのは大竹しのぶさん。大竹さんが考える「不都合な真実」とは――。 「この作品は約50年前に書かれた喜劇ですが、ジェンダーや報道のあり方など今も変わらない普遍的なテーマがわかりやすく描かれている」と大竹さん。 物語の舞台は、攘夷(じょうい)派と開国派が激しくぶつかり合う幕末の横浜。花魁(おいらん)の亀遊(きゆう)は通訳の藤吉と恋仲だったが、アメリカ人に身請けされる話が決まってしまう。亀遊はショックで自害するが、その死は「異人に身体を許すならば、と自ら命を絶った」という「美談」として、瓦版に報じられる。 その後、遊郭は攘夷派の武士らで大繁盛。大竹さん演じる芸者・お園は亀遊の友人で、自害の真実を知っている。攘夷派のため、うそと知りつつ、亀遊の美談を自らも歌って語るなど、渦中に巻き込まれていく――。そんなあらすじだ。 うそが真実であるかのように伝えられ、いつしか信じられてしまう。似たような体験をしたことがある、と大竹さんは振り返る。 ゴシップだけがネット上で残ってしまって…… ゴシップの拡散力を身をもって知ったという大竹しのぶさん。有吉佐和子が描いた50年前も今も変わらない人間の本質とは? 「これまで何人とつきあいま… この記事は有料記事です。残り894文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル