長崎出身の「被爆3世」で、東京で平和運動をしてきた林田光弘さん(29)は今年、「原点回帰」の夏を迎えた。7月から長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)の特任研究員となり、平和教育の教材開発に携わる。9日の「長崎原爆の日」へ、気持ちを新たにしている。 8日午後、林田さんは爆心地公園にいた。休日を利用し、広島から来た大学生ら5人に長崎原爆資料館の展示を解説。続いて旧知の被爆者の田中安次郎さん(79)に被爆遺構を案内してもらった。「平和な世界が続くかはみなさん方にかかっている」。田中さんの言葉に林田さんはうなずいた。 長崎市で生まれ、小学生の時から学校で被爆体験を聞いて育った。高校3年の2010年、田中さんらと一緒に渡米し、語り部の紙芝居を同世代の米国人に見せた。「被爆3世」を名乗るとき、思い浮かべるのは祖父だけではない。「戦争を止められなかった」と悔やみ、市民の力で世界を変えようと動いた被爆者たちだ。 明治学院大学大学院に在学中… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:452文字/全文:877文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
コロナ下、多様性と調和訴えた五輪 近くて遠い17日間の祭典おわる
東京オリンピック(五輪)が8日、幕を閉じた。17日間の祭典は、二つの世界を生み出した。多くのドラマで見るものを魅了した競技場の中。不要不急の外出自粛を求められたバブルの外。見るもの、参加するものの立場に応じて、異なる記憶を刻んだ。未来に何が語り継がれるのだろうか。 昼過ぎまで降り続いていた雨があがった。 午後8時。国立競技場を花火が照らし、東京五輪の閉会式が始まった。200を超える国と地域の旗手がスタジアム中央のステージを囲んだのを合図に、四方から選手たちが入場してくる。 赤いジャージーは日本選手団だ。この日試合を終えたばかりの女子バスケチームは、肩を組んで喜びをあらわした。金メダルを獲得した野球の田中将大(32)に米国選手が近寄って声をかける。外国選手の中には、メダルを首にさげた人や「ARIGATO」と掲げた人もいた。リラックスした表情が緑の芝生を埋めていく。 大会では若い力がはじけた。新競技の一つ、スケートボードでは、転倒した岡本碧優(15)のもとに米、豪、ブラジルの選手らが駆け寄り、岡本を担ぎ上げた。金メダルの西矢椛(13)らは試合中にアニメソングの話で盛り上がり、「普段の大会とそんなに変わらなかった」と自然体を貫いた。 多様性と調和も大会のキーワードだった。複数の女子サッカー代表は試合前、片ひざをついて人種差別に抗議した。男子飛び込み英国代表で、男性のパートナーと3歳の息子と暮らすトーマス・デーリー(27)は会見で「私はゲイです。自分のストーリーを伝えることで、人々の意識を変えられる」と言った。 閉会式では、1964年の東京大会で演奏された古関裕而の「オリンピックマーチ」が再び流れた。前回の閉会式で、各国選手が肩を組んでトラックになだれこむ様子をNHKの土門正夫アナウンサーは「国境を越え、宗教を超えました。このような美しい姿を見たことがありません」と伝えた。 それから57年。閉会式はもう一度、一体感や融合がテーマになった。 スタジアムが暗転すると、一堂に会した選手たちが空に向けたスマートフォンの画面が光る。一人ひとりから舞い上がった無数の光の粒がスタジアムを包むと、五輪のシンボルマークへ形を変えていく。そんな映像が大型スクリーンに映し出された。 福島のソフトボールで競技が始まって以来、1万1千人の選手たちが33競技339種目でメダルを競った。大会運営に直接かかわるボランティアの登録は5万1672人にのぼり、全国から集められた2200台のバスが競技会場や選手村などを結び、日本のメダルは史上最多の58個になった。そして、開会式には1日あたり4225人だった国内の新規コロナ感染者数はこの日、1万4472人となった。 それらが、復興五輪を掲げて招致をもぎとり、「コロナに打ち勝った証し」として開催にこぎつけた17日間の「決算」となる。 大会組織委の橋本聖子会長はあいさつで「みなさんは困難を乗り越えた本物のオリンピアンです。どうかこの景色を忘れないで下さい」と呼びかけた。 この日、エッフェル塔の足もとに集まったパリ市民は、煙幕で赤白青のトリコロールカラーを描く飛行機に小旗を振って祝福した。夏の五輪は3年後、パリへ引き継がれる。 聖火が消えた。東京で開かれながら、テレビやスマホの画面越しに見つめた、近くて遠い祭典が終わった。(山本亮介、斉藤佑介) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
台風9号、九州や四国で大雨の可能性 土砂災害など注意
2021年8月8日 20時05分 【動画】台風の予測と実況・風の強さ 台風9号は8日午後8時過ぎに鹿児島県に上陸した。9日にかけて西日本を北東へ進むとみられる。日本海で温帯低気圧に変わるものの、その後も発達を続ける見込みで、気象庁は九州や四国などで大雨が続く可能性があるとして、土砂災害や高潮などへの警戒を呼びかけている。 気象庁によると、9日午後6時までの24時間の予想雨量は、四国で300ミリ、東海、近畿、九州北部で250ミリ、中国と九州南部で200ミリ。9日にかけては強風も吹くとみられ、北陸で25メートル、近畿で23メートルの最大風速を予想している。 台風9号は8日午後3時時点で同県薩摩川内市の南西にあり、1時間におよそ30キロの速さで進んでいた。中心の気圧は990ヘクトパスカルで、中心の最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートル。 また、台風10号は8日、太平洋を北東から東へ進み、本州から次第に遠ざかった。千葉県内では大雨が降り、いすみ市など9市町に避難指示が出たほか、土砂崩れにより勝浦市と睦沢町で住宅2棟が全半壊した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
元SEALDsメンバー、核廃絶へ「ジタバタし続ける」
長崎出身の「被爆3世」で、東京で平和運動をしてきた林田光弘さん(29)は今年、「原点回帰」の夏を迎えた。7月から長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)の特任研究員となり、平和教育の教材開発に携わる。9日の「長崎原爆の日」へ、気持ちを新たにしている。 8日午後、林田さんは爆心地公園にいた。休日を利用し、広島から来た大学生ら5人に長崎原爆資料館の展示を解説。続いて旧知の被爆者の田中安次郎さん(79)に被爆遺構を案内してもらった。「平和な世界が続くかはみなさん方にかかっている」。田中さんの言葉に林田さんはうなずいた。 長崎市で生まれ、小学生の時から学校で被爆体験を聞いて育った。高校3年の2010年、田中さんらと一緒に渡米し、語り部の紙芝居を同世代の米国人に見せた。「被爆3世」を名乗るとき、思い浮かべるのは祖父だけではない。「戦争を止められなかった」と悔やみ、市民の力で世界を変えようと動いた被爆者たちだ。 明治学院大学大学院に在学中… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:452文字/全文:877文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「一生に一度」「タダで見られる」札幌、マラソン沿道に群がる人
世界の一流ランナーが、札幌市中心部を周回する42・195キロを駆け抜けた。7日午前6時にスタートした東京五輪の女子マラソン。大会組織委員会などは新型コロナウイルスの感染が急増しているとして沿道での観戦自粛を呼びかけたが、あちこちで人が集まり、「密集」は避けられなかった。約3時間に及んだレースを見つめた人たちに思いを聞いた。 5時45分 発着地点の大通公園周辺には、すでに人が集まっていた。千葉県の会社員男性(57)は午前5時に来た。「観戦自粛は知っているけど、一生に一度の機会だし、タダで見られる」。東京五輪は、コロナ下での開催をめぐり世論が二分した。男性は「賛否両論あるが、選手を見ると勇気が出る。頑張っていこうという目標になるものが開催されたのはよかったのでは」と話した。 6時 88人の選手がスタート。近くの歩道では「五輪は中止!」の横断幕を掲げた男女5人が「五輪よりも新型コロナ対策を」と訴えていた。参加した市内のタクシー運転手河野晃興さん(59)は「人流が増えれば、コロナの感染者も増える」と危ぶむ。 6時15分 大通公園西11丁目の五輪モニュメント近くを、選手の大集団が走り抜けた。高まる拍手。「がんばれ」「ありがとう」と声援が飛ぶ。五輪日本代表のユニホームを着た東京都の会社員男性(44)は、5日に飛行機を急きょ予約した。「テレビを見ていて居ても立ってもいられず来てしまった。やっぱり五輪は最高ですよ」。選手を追ってレンタサイクルをこいで南方面へ走り去った。 6時30分 選手が走り去ると、西11丁目付近は観戦者たちも移動し、いつもの早朝の風景に戻った。立ち入り禁止のバリケードも早々に撤去された。日課の散歩中だった市内の自営業男性(62)は「選手はもう行ってしまったの? 早いね」と驚いた様子。小学生の時の1972(昭和47)年、札幌冬季五輪でアイスホッケーを見に行った思い出がある。札幌市は2030年に、2度目の冬季五輪を招致することに意欲的だ。「経済を回すために必要ならやればいい。ただ、カネがかかる五輪は市民としては歓迎しないね」と冷めた表情で話した。 6時20分 ススキノを駆け抜けてきた選手の集団が、豊平川にかかる幌平橋を渡った。午前5時から橋の上で国旗を持って応援していた東京都の50代男性は「1964(昭和39)年東京大会で優勝したアベベ選手(エチオピア)や円谷幸吉選手(銅メダル)の活躍を聞き、ぜひ見たかった」。幌平橋を選手が通過するのは1回きりで「密」が避けられると思ったが、ここも大勢の観戦者がいた。男性は「自粛を呼びかけながら大会を開催するなんて二枚舌だ。だから誰も緊急事態宣言の対策を守らないのでは」と話した。 6時35分 10キロ地点の平岸通。近くの女性(73)が小学3年生の孫娘と一緒に来ていた。五輪を生で見るのは64年東京五輪、72年札幌冬季五輪に続き3回目。冬季五輪では選手村でボランティアをした。「感激しました。男子マラソンも見に来ます」 平岸通沿いでカレー店を営む三田村誠也さん(33)は、午前6時に店を開けた。朝営業は、コロナの影響で減った売り上げを増やそうと、6月から平日に始めた。男女のマラソンのあるこの土日は朝も営業することにした。「多くの人が見に来るかと思っていたが、それほどでもなかった。接客で、選手の姿はあまり見られませんでした」 6時55分 先頭集団が、創成川通沿いの幌北小学校付近を通過した。 沿道から拍手を送っていた女性(74)は「自宅でラジオを聞いて、選手が近くまで来たので家から出てきた。五輪を見られる人生で最後のチャンス。どうしても見たかった。国籍も肌の色も違う選手たちが一緒になって競う姿に感動した。やっぱり五輪はいいなと感じました」。 通り沿いに住む自営業の伊藤聡さん(57)は「がんばれ日本」と書いた手作りの看板をベランダにかけて応援した。「コロナ禍で大声で応援できない。選手にエールを送るにはこれしかないと思って」。マラソン歴20年。沿道の声援が力になるのは実感している。「本当は道路に出て大声で応援したいんだけど」 7時10分 コース北端となる宮の森・北24条通を選手たちが通り過ぎた。近くの小畠信男さん(83)は妻と一緒。「初めての生の五輪。コロナは気にはなるが、家の近くを走るので絶対見たいと思った。テレビで見るのと全然違って、思わず手をたたいた」 紋別市から来た釜谷良範さん(69)にとってここは、かつて「北海道マラソン」で走ったコース。「思い入れのある場所。あの時の応援が励みになったので自分も応援したいと思った。テレビではトップの方しか映らないが、生で見ると最後の方で頑張っている選手が見られるのがいい」 7時30分 選手は北海道大学構内を走り抜け、再び公道へ。道庁赤れんが庁舎の脇を通り、正門から次々と出てきた。同じころ、出勤途中で札幌駅方向へ行こうとしていた市内の会社員女性(27)は、正門前の道路が通行止めで横断できないのを知り、大会スタッフに迂回(うかい)路を尋ねた。札幌駅前通周辺も人だかりができていて、両手で頭を抱えた。「会社に遅れちゃう。五輪なんて興味ないし、そもそも見て楽しむほど時間に余裕ないし。五輪なんて迷惑以外の何物でもない」 8時25分 大通公園と札幌駅前通に面した道銀ビルディング前は、ゴールする選手が見える格好の「観戦ポイント」とあって、幾重もの人垣ができていた。フィニッシュが近づくにつれ、密集状態はピークに。「立ち止まらないでください」「通路を空けてください」などと呼びかける大会スタッフに従う人はおらず、人はどんどん増えていった。その様子を眺めていた女性(58)は「あの中にはさすがに怖くて入れません」。 8時30分 8位入賞した一山麻緒選手が大通公園のゴールゲートをくぐった。東京から姉妹で来た会社員女性(24)は「この炎天下で走りきったのはすごい」と選手たちをたたえた。観戦自粛の呼びかけは「パフォーマンスで意味がない」。大学生の妹(20)も「やってる感をアピールしなくちゃならないから形だけでは」と冷ややか。 8時45分 ゴール付近に国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が姿を現した。沿道の観戦者に声をかけたり手を振ったりして、上機嫌の様子だった。 9時 最終ランナーが札幌駅前通をゴールに向けて走り抜けていった。「ファイト!」「がんばれ」。選手が通過するたび、そこここで声援が上がった。選手が笑顔で手を振ると、ひときわ大きな拍手と声援がわき起こった。 同じころ、メダリストの記者会見が行われていた。銅メダルを獲得したアメリカのモリー・セイデル選手は観客への感謝を口にした。「観客がいないなかで走るのは楽ではないが応援してくれたのは大きかった。札幌の皆さんに心から感謝したい」 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
五輪「無観客が幸い」 酷暑で調整不足、それでも無事故
新型コロナウイルスの感染拡大に加え、開幕直前まで準備が混乱した東京オリンピック(五輪)が8日に閉幕する。大会組織委員会は酷暑への対応で調整不足も露呈したが、大会の根幹に関わる大きなトラブルはなく、関係者は「無観客になったことで、運営にかかる現場の負担は大きく減った」と受け止めている。 「これまでのオリンピックの中で、オペレーションが最も難しかった大会かもしれない」。組織委の中村英正・運営統括は7日午前の記者会見で、国内外のメディアに向けて英語で苦悩をにじませた。 新型コロナへの対応のほか、大会運営で焦点になったのは酷暑への対応だった。 中村氏が記者会見した7日、午前6時に札幌市大通公園で女子マラソンの号砲が鳴った。猛暑のためにスタートの1時間繰り上げが決まったのは、その11時間前。突然の変更に、現場は沿道警備などの計画の練り直しを迫られた。沿道警備をしていた男性は「ほとんど寝ていない。ここ数日の札幌の暑さは分かっていたはずなのに、変更は急すぎる」と苦笑した。 6日午前11時に国立競技場で実施予定だったサッカー女子決勝も、国際サッカー連盟などの要請を受けて前日に急きょ、午後9時に日産スタジアム(横浜市)での開催に変更された。 この時期の酷暑は開幕前から想定できていた。それでも危機感が高まらず、競技直前に急きょ会場や日程が変更になったことについて、「組織委と国際競技団体の調整不足があらわになった」と大会関係者は言う。陸上、サッカーともいずれも国際競技団体の主導で、組織委の対応は後手に回り、試合時間に合わせて調整していた選手にしわ寄せが行くことになった。 大部分の会場が無観客だったため、日程や会場を変えてもチケットの払い戻しなどを考慮する必要がなく、変更が容易だったという面がある。別の組織委幹部は「無観客は不幸中の幸いだったのかもしれない」と振り返る。 「有観客だったら事故が起きていた可能性高かった」 むしろ、ある会場の運営責任… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:368文字/全文:1202文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
めっちゃデカい! 5万円フルーツパフェ、大阪に登場
朝倉義統2021年8月8日 18時00分 大阪・梅田のパフェ専門店に超巨大フルーツパフェが登場した。「cafe303(仮)」の「スーパーDokanパフェ」(5万円)。完全オーダー制で、希望の果物がふんだんに入っている。 昼間は営業していないバーを間借りし、パティシエの三木史奈さん(21)とオーナーの丸田琴乃さん(21)が7月から日中だけ営業をしている。普通のフルーツパフェ(800円~)もあるが、おもしろそうだからと、完全オーダー制の巨大パフェをメニューに入れたという。 5万円パフェを注文したのはなんと…… 種類は1万円、3万円、5万円の3種類で、予約のみの前金制。コーンフレークやアイスクリームは使わず、果物、生クリーム、ヨーグルトが基本だという。 すでに3種類とも1回ずつ注文があり、「2万円で作って」というリクエストに応じたことも。現在、3万円の予約が入っているという。 「ちなみに5万円のを注文したのは男性2人からでした。女子なら5人で食べられると思います」と三木さん。「本当に注文があるとは思わなかったのでびっくり」と、三木さんも丸田さんも笑う。問い合わせは同店(06・6360・9388)。(朝倉義統) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
五輪警備の機動隊員14人が新型コロナ感染、計49人に
2021年8月8日 18時37分 警視庁は8日、東京五輪・パラリンピックの警備を担う「特別派遣部隊」として兵庫、岡山、和歌山、大阪の4府県警から派遣された男性機動隊員計14人の新型コロナウイルス感染が新たに判明した、と発表した。業務には他の部隊を充て、支障はないという。特別派遣部隊の感染者は計49人となった。 14人の内訳は、和歌山と岡山が各6人、大阪と兵庫が各1人。いずれも選手や市民との濃厚接触はなかった。国や都の要請に反する行動などは確認されていないという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
台風9号接近、九州・山口の広範囲で大雨
神野勇人2021年8月8日 18時39分 東シナ海を北上していた台風9号は8日夜から9日未明にかけて九州・山口に接近し、広い範囲で大雨をもたらす可能性がある。気象庁は土砂災害や低地の浸水などに厳重な警戒を呼びかけている。 気象庁などによると、台風9号は8日午後3時現在、鹿児島県薩摩川内市の南西約310キロを時速30キロで北東に進んでいる。中心気圧は990ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は20メートル。九州に上陸後、勢力を維持したまま9日午後に中国地方を抜ける見通し。 九州・山口全域で1時間あたり60~70ミリの非常に激しい雨が予想される。9日正午までの24時間降水量は山口、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島の各県で250~300ミリに達する恐れがあり、8日夜~9日朝にかけて大雨警報が出る可能性も高いという。 台風接近に伴い、JR九州は鹿児島線や長崎線など在来線11路線で8日夕から順次運転を見合わせた。九州新幹線は通常通り運行した。 沖縄や九州の空港を発着する航空便にも影響が出た。日本航空では8日午後6時現在で91便が欠航し、9日の6便の欠航も決めた。全日空も8日に15便が欠航したほか、9日朝に宮崎空港を出発する1便の欠航を決めた。(神野勇人) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
泣き虫の陸上部員だった大迫選手 中学時代の顧問に宛てた手紙
疲労を顧みない練習量で顧問を怒らせた泣き虫の陸上部員が、かつて東京都町田市の市立中学校にいた。 その後、駅伝の名門校を経て箱根駅伝で活躍し、世界に飛び出した。日本記録を2度塗り替え、東京オリンピック(五輪)で6位入賞を果たした。男子マラソンの大迫傑選手(30)だ。その陸上人生の原点とも言える手紙が、今も中学時代の顧問の手に残っている。 2人の出会いは17年前。中学教諭の山口智美さん(49)が東京都町田市立金井中の陸上部顧問として赴任すると、2年に大迫選手がいた。陸上に関してとにかく貪欲(どんよく)。「体のバネが違う」と一目でわかった。 ただ、大迫選手が金井中で練習するのは週一回だけ。別の強豪中学やクラブチームに出向いて練習していた。練習をしすぎると故障のリスクが高まる。山口さんは、走る量を控えた方がいいと思う一方、大迫選手が自分で開拓した練習環境を尊重したい気持ちもあり、迷っていた。 その年の10月末。大迫選手は疲労から腰を痛め、走れなくなった。 「やりすぎだから。絞りなさ… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:1130文字/全文:1579文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル