海外でも高い評価を得ているジャグリングパフォーマーのちゃんへん.さん(35)は、全国の学校などを回り、年間200超の公演を続けています。公演の後には、在日コリアン3世として過ごした子ども時代や、芸で道を切りひらき世界82カ国・地域を回った経験を語ります。今回のインタビューで、彼が度々口にしたのは「境界」というキーワードでした。(宮崎亮) ちゃんへん. 1985年、京都府宇治市生まれ。本名は金昌幸(キム・チャンヘン)。2002年、「大道芸ワールドカップ」に最年少の17歳で出場し人気投票1位。主に海外で公演。09年から現在の芸名に変え、日本を拠点に。10年、豪州「第50回ムーンバフェスティバル」で最優秀パフォーマー賞。昨年、自伝「ぼくは挑戦人」を出版。 拡大するディアボロを披露する。「ジャグリングによって自分の限界値を知ることができる。技術を積み重ねるだけでなく、自分自身を掘り下げているような感覚です」=大阪市北区、金居達朗撮影 ――京都で在日3世として生まれ、公立小学校に進みます。 父方の祖父は戦時中、14歳で釜山から日本に渡り、済州島出身の祖母と結婚しました。幼い頃は外国人という意識もなく、家では日本語とウリマル(韓国・朝鮮語)を交ぜて話した。でも入学式で先生らに「アンニョンハシムニカ!」と言うと「え?」って。そして受付で母が「岡本昌幸」と言った時、初めてもう一つの名があると知りました。 いじめなんかせえへん ――小3から壮絶ないじめを受けたそうですね。 給食で出たピビンバについて語ったことがきっかけです。最初は無視され、その後は教科書に「ちょうせん人死ね!」と書かれたり。小4では上級生に毎日殴られた。ある時、校舎4階から石を詰めたバケツを体の近くに落とされました。教師の知るところとなり、全員が校長室に呼ばれました。 祇園でクラブを営む母が到着し、校長に説明を受けるとこう言いました。「ところでさ、いじめって何でやったらあかんの?」。戸惑う校長に母はこう続けました。「いじめがなくならへんのは、この学校でいじめよりおもろいもんがないからや」 そして母は帰り際、「素敵な夢持ってる子はな、いじめなんかせえへんのや!」と言いました。上級生への言葉でしたが、すごく僕の心に刺さりました。 母は、直接彼らを責めなかった。そして帰り道、僕に「あの子らを恨んじゃだめ」。ひどい言葉を投げかけられてもそのまま受け取らず、裏にある意味を考えろと言いました。 実際、いじめっ子の一人は親から虐待されていて、中学卒業後に自殺しました。いま思えば僕に「朝鮮人め」と言っていたその言葉は「俺、家で苦しいんだ」という気持ちの表れだったのかもしれません。 拡大する生後間もないちゃんへん.さんと母の昌枝さん=1985年、京都府宇治市 ――ジャグリングとの出会いは。 中学2年の時、たまたま専門店で世界王者の映像を見たんです。それまで得意だったヨーヨーの大会は、決められたルールの中で高得点を競うものでしたが、それよりもっと自由で魅力的に見えた。自分の好きな技で人を楽しませたいなと思って。母が買ってくれたディアボロを、毎日8~10時間練習しました。その頃まだ下を向きがちな性格だったんですけど、できない技に挑んで一つずつクリアするうち、小さい頃の明るさを取り戻しました。…
4 ans Il y a