--地方に権限や財源を与えて任せようとだれも言っていない。東京一極集中を是正できなかった理由も含めてどう考えているか 石破氏「すいません。私の書き方が悪かったのかもしれないが、私は地方任せの国へって書いたつもりですよ。つまり国任せじゃない、地方任せというのは、そういうことなのです。責任もその地方で持ってくださいということなんです。 この国の一極集中はわざと作ったものです。明治維新以来、たった50年で世界の強国にのし上がった。敗戦以来、たった23年で、GNP(国民総生産)、当時GNPと言いました、世界第2位になった。それは政治も経済も金融も文化もメディアも全て東京に一極集中するのが効率的だったからだ。 ロンドン一極集中とか、パリ一極集中とか、ベルリン一極集中って聞いたこともない。そして大正3年に『ふるさと』っていう文部省唱歌ができた。志を果たしていつの日にか帰るのが故郷だ。東京に来て、偉い政治家になる。政治家がえらいかどうか知らない。軍人さんになる、ジャーナリストになる、経済人にになる。全てが東京一極集中にこの国はできている。 道路であり、鉄道であり、飛行機であり、情報であり、進めば進むほど、東京一極集中が進むっての、そういう国家の仕組みになっているからでしょう。それを根本的に改めるためには、地方任せが必要です。それをコロナが教えたんじゃないですか。その代わり、その責任も地方が負う。民主主義というのはそういうものだということを私は強く今回認識しています」 --菅氏も 菅氏「私も地方分権を推進してきました。やはりどうしてもつくのは財源なんですよね。そういう中で私自身は、東京から法人の地方法人税について1兆円を超える金額を、地方に国の税として移し、地方に配布もさせていただいてます。そうしたことも今までやってきてます。また、ふるさと納税についても東京からかなり批判もされている。 企業版のふるさと納税というのを、これ2年前に作らさせていただきました。故郷に寄付することによって、地方に寄付することによって、地方のことを理解をし始める。そうしたことにつながればいいなというふうに思ってます。また今、テレワーク、今度のコロナのことで、テレワーク、地方にいても、ほとんど困らないような、活動もできるということを皆さん体験した方がたくさんいらっしゃいますから。これをいい機会にそうしたテレワークというのをですね、推進をして、地方に多くの人が移転できるように、ここは応援をしていきたいというふうに思います」 --岸田氏 岸田氏「地方の活力を考えた場合に、財源とか権限、これはもちろん大事ですが、私を合わせて、国民の意識、あるいは社会の変化、これが伴っていかなければならないと思っています。今回、新型コロナウイルスとの戦いの中で、国民はリモート、テレワーク、デジタル、こうした動きの中で、東京や大都市にいなくても働くことができる。東京や大都市にいなくても、医療や教育を受けることができる。情報に接することができる。これを体験した。こういったことであったと思います。 この国民の意識の変化、これは大きなチャンスではないかと思い、そして、ぜひこのチャンスをものにしようではないか。その東京一極集中を変化させるキーは、このデジタル、最新の技術ではないか。第5世代(5G)移動通信システムをはじめとする最新のこの技術を地方にこそ真っ先に実装する。 こうしたインフラをつくることによって、リモート教育、リモート診療、さらには自動運転、あるいはドローン宅配、こうした成長のエンジンを、地方にこそ実装することによって、国民の意識を後押しすることができるのではないか、ぜひこのチャンスをものにしよう。こういったことを『デジタル田園都市構想』というこの名前の中に盛り込んでいます。ぜひこのチャンスをものにする。そして並行して、財源や権限についても動かしていく。 これが結果につながる大きな道であると思ってます」 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
総裁選公開討論会詳報(15)岸田氏「女性活躍のためには社会自体が変わらなければ」(産経新聞)
--社会のあらゆる分野で指導的地位の女性の割合を2020年に3割にする目標は達成されず先延ばしされた。国会議員もその水準に達していない。どうすれば目標を達成できるか 石破氏「お見受けする限り、司会を除いて質問者みんな男性。それはまずいですね。これはいったいなぜなのか。つまり何もあげつらっているわけじゃなくて、どうしてこんなことになるんだろうかということをちゃんと認識をしているだろうか。自分も含めてですね。 女性が社会でその能力を最大限に発揮しないと、この国を次の時代につなげることはできないんです。じゃあ、何で男女の賃金格差、こんなにあるんだろうか。なんで女性が管理職に登用されないんだろうか。なんで日本の男性の家事分担率が低いんだろうか。そのことを一つ一つに答え出していかないままに、クオーター制のなんのといっても、それは駄目だ。 私はクオーター制を決して否定はしない、あるいは選挙に出るときに男女ペアというやり方も然るべきだろうと思ってた。だけど、なんで女性が参加できないのかという理由を女性に聞かないで、男性がいろいろ考えたってわかりっこないじゃないですか。それだけ切実感がないってことでしょう。 女性の方々に、なんでわかってくれないのってことを全部聞いたんだろうか。私は妻にしても、スタッフにしても、本当に何度も言われて反省したこといっぱいあります。そっからやりましょう。メディアが政治も一緒にやっていきましょう。いつかまたあるときは、半分が女性が質問者であってほしいなと私は思っています」 --菅氏は 菅氏「安倍政権は、女性の活躍できる社会、こうしたことを掲げていることは事実であります。その中で、このアベノミクスによる雇用400万人を増やすことができたと申し上げました。そのうち330万人ほどが女性の方なんです。一応、それの皆さんの雇用の場を作ったということだというふうに思います。 それと同時に上場企業の場合、女性の役員の数は増加してほしい。これは政府が要請もしてきました。数には達しませんけれども、それぞれそうした意識で進めてきていることは事実でないでしょうか。 そして女性活躍推進法という法律を作らせていただきました。採用あるいは登用、そうしたものの数値目標を作ってもらってもらう法律であります。そうしたことを後方支援というのですかね。そうしたことをしながら、女性の皆さんのそうした場を作っていきたいというふうに思います。 また、罰則付きの残業制度も作らせてもらいました。そうした中で少しでも女性も健康で働くことができて、なお政府として運営をさせていただきたいというふうに思ってます」 --岸田氏は 岸田氏「まず女性の皆さんに活躍してもらうためには、まずは社会自体が変わらなければいけないということで、先ほど申し上げました女性の皆さんの健康促進と、男性の協力と、そして育児環境の充実、これは3つ大きなポイントとしてあるのではないか。こうしたものを中心にしながら、しっかりと環境を整備していく。これは基本だと思います。 その上において、さまざまな分野で具体的にどう女性の皆さんに活躍してもらうか。仕事と生活のバランス、ワークライフバランスをはじめ、さまざまな取り組みを進めていく。特に女性の皆さんの活躍の一番遅れているのが、政治の世界だという指摘が度々あります。 日本の国会議員の女性の割合14%、日本の県会議員の女性の割合は11%。各国と比べて格段に低い状況にあります。こういった状況に対しては、先ほど言いましたが、環境を、社会環境を改善していく。そして政治の世界における、この環境を整備していく。 そしてその上で、数値目標、これいきなり高いものを掲げると、また弊害がありますが、現実にあった数値目標等もしっかり掲げながら、政治の世界においても、女性の皆さんの活躍の道を考えていく。こうした考え方は大事なのではないかと思ってます」 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
Au Japon ancré dans la déflation, « la génération qui a 20 ans ne rêve pas en grand »
Sur un marché japonais de Sapporo (Hokkaido), le 15 mai. STR / AFP « Mes parents ont connu la période de la bulle spéculative des années 1980 et croyaient que le gouvernement leur faciliterait la vie. Nous, nous devons épargner le plus possible et ne pas prendre le moindre risque. » Elevé […]
Inflation négative, croissance en berne, endettement… en zone euro, le spectre d’une spirale à la japonaise
Quand l’énorme bulle boursière et immobilière a éclaté au Japon, au début des années 1990, la plupart des observateurs s’attendaient à une correction nécessaire de quelques années. Plus d’un quart de siècle a passé, et le pays ne s’est toujours pas sorti d’une spirale déflationniste et d’une croissance en berne, […]
鉄板が落ち記憶なくして40年 香川で途絶えた手がかり
10年前、京都府内の日本海沿いの小さな町。 男は中華料理店へ入った。注文した中華丼や唐揚げを食べ、ビールと焼酎を飲み終えた。「おい」。店主に声をかけ、ナイフを突きつけた。レジ近くの箱をひったくり、逃げた。 だが、箱を開けてみると現金はなかった。入っていたのは売上伝票だけだった。 男は百貨店に駆け込んだ。トイレに入り、バッグにしのばせていた刃物を取り出した。シャツをまくり上げ、腹に突き刺した。床に倒れ込んだ。腰に巻いたコルセット越しに血がにじみ出て、そのまま意識を失った。 男は絶望していた。 この数カ月前。工事現場での仕事のあっせんを約30年間にわたり頼んできた手配師の男性が、突然に姿を消した。仕事が得られなくなり、毎日の食事代にも困るようになった。その手配師以外に頼れる人はおらず、男は路頭に迷った。 男は、運転免許証や住民票などの身分証明を何一つ持っていなかった。それどころか、自分の氏名や正確な年齢さえわからなかった。 男には、20代半ばまでの記憶がほとんどなかった。 病院を抜け出した先で… 記憶を失ったのは、鳥取・米子の工事現場での事故がきっかけだった。後に周囲からは、「26~27歳」ごろのことだと言われた。 クレーンにつるされていた22ミリの鉄板が、数メートル上から落ちてきた。安全ヘルメットとともに頭蓋骨(ずがいこつ)が割れた。 約1週間後に目覚めると、全身が白い包帯で巻かれていた。頭蓋骨骨折、左足の粉砕骨折、内臓損傷、そして、記憶障害。 質問を重ねてきた脳外科医から言われた。「記憶は少しずつ戻ってくるかもしれない」。会社の上司や看護師らは気の毒そうに見てきたが、自分では特に何も感じなかった。「おれはそういう人間なんだ」。そう思っただけだ。 半年後、退院の日が迫っていたある日の真夜中に、病院を抜け出した。勤務先は高額の医療費をまかなう余裕がなかった。小遣い程度の現金を渡され、遠方への逃亡を指示されていた。勤務先には出身地などを伝えていなかったらしく、帰る先は分からなかった。 求人の貼り紙で見つけた関西の工事現場で、長年の付き合いとなる手配師の男性に出会った。その手配師に任せれば、仕事を探す手間が省けた。現場ごとに必要な作業員の登録も、偽名で済ませてくれた。 手配師は男を「てつ」と呼んだ。幼いころ、自分を「哲(てっ)ちゃん」と呼ぶ友だちがいたことをかろうじて思い出し、手配師にそう伝えたからだ。 各地を転々とし、工事現場の宿などで寝起きをした。大病にもかからず、健康保険や住民票がなくても特に問題なかった。記憶をそれ以上取り戻す必要も感じず、30年ほどが過ぎた。 思い出した「かがわ」「たどつ」 手配師に去られ、中華料理店で事件を起こした後に自殺を図った男は、容体の回復後に強盗などの疑いで京都府警に逮捕された。2010年5月のことだった。 男は容疑を認めたが、身元がわからない。府警は指紋などから前科前歴を洗ったが、見つからなかった。レコーダーで話しぶりを録音し、特徴的な方言がないかも探ったが、長年各地の工事現場を転々としていたためか、標準語に近かった。 府警の取り調べで、男は何度も記憶をたぐるように求められた。記憶を取り戻す意思を持っていなかった男にとって、過去と向き合う作業はほとんど初めてだった。 「かがわ」「たどつ」 思い出した。住んでいた地名だ。両親は幼いころに亡くなり、漁業で生計を立てる親類の夫婦に育てられた。養父の名は、「中野邦夫」だった――。 府警の捜査員は香川県多度津(たどつ)町に飛んだ。男が手書きで描いた地図には、学校のそばに川がある。その風景の小学校を探り当て、男の推定年齢から、該当しそうな数年分の卒業アルバムを借りて戻ったという。 拡大する多度津小学校(右側の建物)のすぐ近くを流れる桜川。「津和野さん」は「川が近くを流れる小学校」を思い出した=7月21日、伊藤喜之撮影 だが結局、身元は特定できなかった。町内に中野姓の人は多くいたが、名まで一致する人はいなかった。 「哲ちゃん」の通名のまま、公判は進んだ。男は実刑判決を受け、滋賀刑務所に入った。 「普通の生活、やっと持てた」 3年余りで出所し、更生保護施設に向かった。「出たら必ず戸籍をつくれ」。刑務官からの忠告を守り、施設から弁護士を紹介してもらった。 戸籍を新たにつくる「就籍(しゅうせき)」の手続きだ。日本語を使い、日本のことわざの知識もあることなどから、日本人であることが家庭裁判所で証明された。 新たな氏名は自分で決めた。姓は「津和野」。記憶を失った後、一時期働いた島根県津和野町の城下町が好きだったからだ。 誕生年は「昭和28年」にした。「巳(み)年生まれ」と言われた記憶があり、戦時生活の記憶が一切ないからだった。 拡大する新たに戸籍をつくる「就籍」の手続きで用意された書面。「哲ちゃん」として公判が進んだ男性が「津和野さん」として生きることになった(本人提供) 久保浩「霧の中の少女」(1964年発売)、松島アキラ「湖愁(こしゅう)」(61年発売)……。いま1人で暮らす京都市内のアパートで聴くのは、記憶を失った時期に流れていた歌謡曲ばかりだ。心臓の持病を抱え、足も不自由だ。二つの病院に通うとき以外、人と会う機会もほとんどない。でも思う。 「普通の生活がやっと持てたんじゃないかな」 残りの人生、多くは望まない。養父母が生きていても、高齢なので自分だとわからないだろう。記憶が戻らなくてもいいんだ。 そう、自分に言い聞かせている。 記者は香川県多度津町を訪ねた 「津和野さん」は一体、何者だ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
学祭の照明係でスカウト 謎の三枚目俳優、渡邊圭祐さん
刑事ドラマ「MIU404」ではフェイクニュースを流布する「ナウチューバー」。恋愛ドラマ「恋はつづくよどこまでも」では気弱なナース。「仮面ライダージオウ」では謎の予言者。最近のドラマで、いつもどこか三枚目風の役を演じているあの俳優は誰なのか。26歳の新星、渡邊圭祐さんに話を聞いた。 遠くからでもくっきりと目立つ大きな瞳と細身の長身、はらりと頰にかかる長髪。「顔のタッチが少女漫画的だとよく言われます」と笑って言う。「どの漫画にもたいていロン毛のキャラが一人くらいいる。その実写版にガンガンはまっていきたい」 仙台市出身の26歳。大学時代、学祭の「ミス・ミスターコンテスト」の照明係をしていた際に地元のモデル事務所にスカウトされた。その後、地元の劇団のワークショップに参加して演技の面白さに目覚め、アミューズに移籍。仙台の古着屋で働きながら演技のレッスンに通う準備期間を経て、2年前に上京。初めて受けたオーディションで「仮面ライダージオウ」のウォズ役を射止めた。「古着屋をやめた3日後にはライダーになっていましたね」 その後は「恋はつづくよどこま… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
都会の暮らし、昔もストレス多かった? 梅田で大量人骨
大阪都心のまっただ中、梅田の一角は江戸時代から明治にかけての広大な共同墓場だった。このほどの発掘調査で、1500体以上もの埋葬人骨や350点を超える蔵骨器が出土した。国内屈指の商都を支えた名もない庶民の暮らしぶりや苦労が透けて見えてくる。 JR大阪駅に隣接した再開発地区に、「大坂七墓(おおさかななはか)」のひとつ「梅田墓(うめだはか)」はある。近松門左衛門の名作「曽根崎心中」にも登場し、その始まりは江戸初期にさかのぼるという。 大阪市の教育委員会と文化財協会は昨秋から発掘を実施し、梅田墓の東半分にあたる1500平方メートルの姿が明らかになった。 北側区画には複数の大きな穴が掘られ、いくつもの遺体をまとめて埋葬。南側では陶器の甕(かめ)や木棺、丸い木おけなどの穴が密集しつつも整然と並び、それぞれ遺体がおさめられていた。 梅田墓では2016~17年度の調査ですでに200体が見つかっており、協会によると国内でも例をみない規模だという。 前回調査の出土人骨を分析した… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「監護者性交」、再び一審に 無罪破棄差し戻し確定へ(共同通信)
最高裁第3小法廷(林道晴裁判長)は、14歳の養女に対する監護者性交の罪に問われ、一審の無罪判決が破棄された男(39)の上告を棄却する決定をした。11日付。審理を福岡地裁に差し戻した二審福岡高裁判決が確定する。 公判では養女の証言の信用性が争点となり、2019年7月の一審判決は「多くは誘導尋問に応じておおまかな内容を述べるにとどまり、具体性や迫真性は認められない」として無罪を言い渡した。懲役9年を求刑していた検察側が控訴した。 今年3月の福岡高裁判決は、専門家の意見を聞くなどして、証言の信用性を改めて検討する必要があり、審理が尽くされていないとした。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
東日本大震災の余震か 東北で震度4…地震相次ぐ(テレビ朝日系(ANN))
All Nippon NewsNetwork(ANN) 12日正午前、東北地方で震度4を観測する地震がありました。その後も同じ宮城県沖を震源とする地震が相次いでいて、専門家は東日本大震災時の地震の余震という見方を示しています。 午前11時44分ごろ、宮城県沖を震源とする地震があり宮城、岩手、青森県などで震度4を観測しました。地震の規模を示すマグニチュードは6.1と推定されていて、その後、約3時間の間に同じ宮城県沖を震源とする震度1以上の地震が7回観測されています。 地震調査委員会委員長・平田直東大名誉教授:「(午前)11時44分のマグニチュード6.1の地震は2011年の地震の余震と考える。マグニチュード9クラスの地震というのは400年とか500年に一度、起きる現象。10年、20年というのは直後の状態。マグニチュード6を超えるような地震は、やはり時々は起きると思いますので、(2011年の)東北の地震を思い出して地震の備えを改めてして頂きたい」 けが人などの情報はありません。東北新幹線は一時、仙台-盛岡間で運転を見合わせましたが、現在は再開しています。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
震災の年にも開催した‟伝統の夏祭り” 新型コロナで初の中止に…改めて気づく大切な日常【宮城発】(FNNプライムオンライン)
東日本大震災の年も続けられてきた「福地の夏祭り」 宮城県石巻市の中心部から車で30分ほどの所にある、福地地区。 東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人のあわせて84人が犠牲となった大川小学校。その近くにある福地地区で行われている祭りがある。 紫桃隆洋さん: ボランティアさんが、ここにたき火を用意してくれて… この祭りの運営に携わっている、紫桃隆洋さん。 大川小学校を襲った津波で、次女の千聖さんを亡くした。 紫桃隆洋さん: 私にとっては唯一の花火だったので、今年は中止で本当に寂しい。子供たちが集まれる場所でもあったので、子供たちの声も聞こえなくなってしまうのかな 福地の夏祭りは子供たちの声が聞こえてくる大切な場所 紫桃さんと共に、この祭りの運営に携わり、司会などを担当している佐藤敏郎さん。 佐藤敏郎さん: 今年は震災から10回目だったので、少し盛り上げようとしていたけど。子供が主役。地元の子供もそうだけど、友達が来たり、親戚の子供も来たりする。この地区から出ていった人たちが、子供を連れて帰省するときの祭り 佐藤さんにとって「福地の夏祭り」は、地元の「子供たちの声」が聞こえてくる大切な場所だったという。 震災から5カ月後の夏も、ボランティアなどの協力を受けながら継続してきた夏祭り。震災があった2011年から新たに始めたものがある。 紫桃さんは、その打ち上げ花火の企画や準備を担当している。仙台の花火師や地元の人の協力も得て、実施にこぎつけた花火。 紫桃隆洋さん: 2011年のみんなが辛い思いをしているときに、子供たちの思いや、亡くなった人への思いということで、鎮魂の花火を。それからですね。続いていたんだけど 2020年は新型コロナウイルスという目に見えない脅威によって、祭りを開催できないことがもどかしいという。 紫桃隆洋さん: 祭りとして盆供養であったり、みんなが田舎に帰ってきて先祖の供養や、語らいの場でもあるので。それが今回コロナで無くなってしまったし、故郷へ帰る人たちも少なくなってしまったり。もう寂しいですよね。 「人のつながり」や、「日常」も壊してしまう新型コロナウイルス。 紫桃さんは、2020年は、いつものような子供たちの声が聞こえない分、「当たり前の日常」というものについて考えることが増えたという。 紫桃隆洋さん: 家族が家にいるときだからこそ、改めてみんなで話すきっかけになったと思うし、『当たり前の生活が当たり前じゃない』ことを。普段はそんな話ができなかった。来年はぜひ、コロナも収束してみんな、子供たちも集まって、楽しみにしていた花火とか、来年は祭りができたらいいなと思う。 「当たり前と思っていたことは、当たり前じゃない」と改めて感じた夏。 2021年こそ、福地地区に子供たちの元気な声が戻ってくることを多くの人たちが願っている。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース