聞き手 編集委員・塩倉裕
社会的インフラになったとも言われるユーチューブ。昨年にはついに、ユーチューバーがネットで演説して参院選で当選する事態も起きた。新しいメディアが社会にもたらす影響をどう受け止めていけばいいのだろう。文字メディアであるツイッターとの違いとは……。放送の公共性に詳しいメディア史研究者の樋口喜昭さんに聞いた。
いま大学で就活状況のリストを見ると、「ユーチューバーになるため準備中」「売り上げはまだ少ないがユーチューバーとして活動中」と書いている学生たちが実際にいます。数年前まではほとんど見かけなかった光景です。
テレビという放送メディアには、壇上から大衆に向けて「みなさん、こんにちは」と呼びかけるイメージがあります。他方、通信メディアであるユーチューブには、実際には多くの人に向かってユーチューバーが語っていても、1対1の関係で語りかけられているかのように受け手が錯覚する特性がある。親密性をテコに巨大なつながりを生み出す仕組みだと言えます。発信によって直接収益を得られる収益化の仕組みが組み込まれていたことも、ユーチューバーの増加を促しました。
ユーチューブには、エンターテインメントや文化の新領域を切り開く明るい側面がある一方、急速に影響力を増すメディアであることから社会に様々な混乱や課題を突きつけてくる側面もあります。いわゆるお騒がせが起こりやすいのです。ユーチューブとユーチューバーの社会的責任をどう考えるか。新興SNSの公共性をめぐる議論が高まってくる可能性があります。
放送に規制をかけてもよい根拠とは
難しい問題ですが、思考の手始めとしては、新メディアが登場してきた過去の歴史が参考になると思います。
たとえば20世紀前半に米国でラジオ放送が始まった際には、様々な主体が電波を利用したことから来る混乱や、社会的に不適切な内容が放送されることへの懸念が噴出しました。表現の自由を守りながらメディアを規制できるのか。せめぎ合いの中で組み立てられていったのが、放送の公共性に関する議論でした。
放送を規制できる根拠として…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル