1920(大正9)年2月14日、「日本マラソンの父」と呼ばれた日本初のオリンピック選手・金栗四三(かなくりしそう)らの尽力で、駅伝大会が産声をあげた。
2024年1月2日、第100回記念大会の号砲が鳴る。
上位候補の一つに挙げられるのが中央大だ。
出場回数(97回)、総合優勝回数(14回)はいずれもトップだ。
輝かしい歴史を誇る一方、どん底も経験した。
16(平成28)年1月。中大は箱根駅伝で総合15位に終わり、10位以内に与えられるシード権を4年連続で逃した。
4月、世界陸上のマラソン日本代表の経験がある藤原正和が母校の中大で監督に就任した。
全日本予選の後、監督は動いた
だが6月、全日本大学駅伝の予選会で敗れた。直後に寮で開かれた選手だけのミーティングは、あっさりと終わった。
つなぐ、つむぐ 箱根駅伝100回
2024年1月2日、箱根駅伝は100回大会を迎えます。残り500㍍での棄権、異例の1年生主将、繰り上げを避けた7秒の戦い……。伝統のトロフィーを作った職人秘話も。様々な「箱根」を取材しました。
1年生だった舟津彰馬(26)は振り返る。
「10分か15分くらいで終わってしまったと思います。『これまで通りやっていこう』という感じで……」
でも、舟津ら1年生の思いは違った。
「チームを変えなければだめだと思っていたんです。でも、発言の機会すら与えられなかった」
終わるやいなや、1年生の同期でミーティングをした。監督にも相談し、全員のミーティングが開かれた。
監督は言った。
「これからは1年生主体にする。主将は舟津」
1年生たちで話し合い、部のルールを変えた。
門限の徹底、練習への入り方。気になることはすべて臆せずに言った。
練習時に眠そうに起きてきた先輩に言った。
「なんで、できないんですか」
ネットの書き込みも、うるさかった。
「1年生に主将をやらせるなんて、中大は終わった」「4年生は何をやっているんだ」
そんな書き込みを目にしたが、徐々に変わってきた手応えがあった。練習の雰囲気は変わり、コーチ陣が用意した設定以上の練習もできるようになっていた。
ものものしい雰囲気 「どうなってんだ」
そして10月15日、第93…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル