戦争を体験した人が少なくなる中、京都府舞鶴市出身の内海和子さん(91)=京都市伏見区=は、戦時中の経験をもとにした短歌を新聞に投稿してきた。ふるさとを襲った空襲で亡くなった人たちの鎮魂や、平和への願いを三十一文字(みそひともじ)に託し、語り継ごうとしている。
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、13歳の内海さんは、京都府舞鶴市にあった海軍兵学校舞鶴分校で働いていた。舞鶴第二高等女学校(現在の府立東舞鶴高校)の2年生。兵学校に動員され、事務の仕事をしていた。校内の各部署に書類を届けるのが主な仕事だった。
「それほど深刻には考えていなくて。(海軍の)兵隊さんへの憧れもあって、仕事は楽しかった」
日本各地への空襲は、日ごとに激しさを増していた。東京や大阪は焼け野原になり、軍港がある舞鶴にも米軍機が姿を現していた。
《空襲に戦(おのの)きし夜のまざまざと打ち上げ花火耳塞ぐ夏》
校庭に並べられた遺体
7月29日午前8時半ごろ。米軍機の襲来を知らせるサイレンを聞いた。自宅近くにある寺の竹やぶに身を潜めていると、突然、耳が聞こえなくなるほどの猛烈な風が全身を襲った。
通りに出ると、舞鶴海軍工廠…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル